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| 由緒 |
天満町は、元小屋新町と称えたりしころ、町内に度々火災起り、家屋の焼失する事その数を知らず、住民いたく恐れおののきて寝食安んずる事能わず町役人綿屋七衛門知孝、田中屋嘉三次幸福、これをうれいて、天満宮の御霊徳により其の災禍をまぬがれんとして、天明八(1788)年、天満町と改め、藩政に請い天満宮を鎮護の神として文政五(1822)年正月二十四日鎮祭す。
昭和二十(1945)年原子爆弾によりて社殿灰燼に帰すも、宮司、御神霊を天満小学校内の防空壕にうつし奉る。同年九月、天満南町に仮殿を設けて御神霊を奉斎、祭祀るを続ける。昭和二十一(1946)年八月神殿再建、二十四日遷座祭を執行し昭和二十九(1954)年八月二十四日拝殿を再建する。 |
| 宮司 武内大和(勇)撰文 |
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| 資料をみて現在の天満宮本殿は、被爆してヒビ割れた礎石の上に再建された事を知り、改めて撮影しました。 |
爆心地から1210m 被爆当時町名も天満町でした
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| 再度訪れた今回、神社の裏手に回って記念碑を撮影し追記しました。 |
| 07.08.09追記 05.05.12更新 04.10.22裕・編集 |
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04.08.27撮影 |
| 広島市西区天満町9-29 |
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04.08.27撮影 |
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04.08.27撮影 |
| 社 殿 |
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04.08.27撮影 |
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07.03.20撮影 |

07.03.20撮影 |
| 被爆してヒビが入り脆くなってきたのでしょう礎石ひび割れ部や礎石目地にシーリング材を注入してありました |
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05.04.09撮影 |
| 神社裏手に設置されている記念碑 |
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天満宮鎮座百七十年祭
御社殿修築記念碑 |
昭和二十(1945)年八月六日午前八時十五分(月)広島に世界で最初に原子爆弾が(米軍により)投下されました。爆心地から1.1キロメートルの地に鎮座の天満宮は天満各町の家屋と共に倒壊し各地から発生した火災でその日の内に町と共に焼失しました。
終戦後再建された御社殿も老朽化したため多くの方々の浄財でこのほど修築し境内整備をしました。七十年間草木も生えないといわれた広島市は戦後四十七年を経過した今国際平和文化都市緑多き街として生まれ変わりました。
私達は戦争、原爆を忘れることはできません。御社殿の礎石は被爆石です。戦争の空しさ恐ろしさを語り継ぐ一つとして、ここに保存することにしました。 |
平成四(1992)年八月吉日
天満宮鎮座百七十年祭奉賛会 |
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05.04.09撮影 |
| 被爆当時の天満町の復元図 |
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