ぜんりんじ
禅林寺
  禅林寺(山号・萬松山ばんしょうざん)は、関ヶ原の戦(1600年)の後広島藩主福島正則公の時、尾張海国寺五世高厳和尚を迎えて開山とし、臨済宗妙心寺派に属しています。本尊に釈迦如来(南無釈迦牟尼佛)を安置し胎内に後醍醐天皇御随身の仏舎利を蔵していると伝えています。境内の墓所正面には三界万霊十方至福の塔と共に禅林寺代々の和尚の墓が安置され、その左側に宗箇大居士の遺髪塚と禅林寺の祖師塔があります。又、墓所内には種痘の発見者で浅野藩の御殿医であった三宅春齢の墓もあります。上田宗箇は元和5(1619)年紀州和歌山藩主浅野長晟公の広島移封に伴って客老として広島に入国、一万石(のち一万七千石)を知行し政治のかたわら茶の湯を楽しみながら縮景園や禅林寺の築庭等を指揮し慶安3(1650)年5月1日88歳で亡くなりました。禅林寺は上田主水正重安公(宗箇)の菩提寺として広大な寺領地を有して隆盛を極め、芸州藩臨済宗の最高峰でした。
前列左奥には上田家二代備前守重政公、四代上田重羽公(沢水)をはじめ十一代安節公(松涛)まで広島藩国家老上田家歴代の墓が現存しています。昭和20(1945)年8月6日の原爆により一切の建物は焼失し、墓はその後修復され、往時を偲ぶ姿で現在に至っています。
禅林寺の墓地には被爆した墓石などが残され供養されています。
爆心地から≒980m (被爆当時町名は新川場町)
08.01.30追記    06.09.10裕・編集

06.05.11撮影
広島市中区小町9-14  

06.05.11撮影
広島新四国八十八ヶ所霊場 第六十六番 温故知新・石碑

06.05.11撮影
三界万霊十方至福の塔

06.05.11撮影
上田宗箇の遺髪塚


























































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禅林寺
(禅林寺の)被爆した墓石など
(禅林寺の)上田宗箇の遺髪塚
(禅林寺の)三宅董庵の墓