安芸国分寺

  金嶽山常光院(きんがくさん・じょうこういん)安藝國分寺は真言宗御室派のお寺です。
現在の国分寺の本尊仏は木造薬師如来坐像です、台座銘から1759(宝暦9)年の火災で頭部だけが助け出されその他の部分は翌(1760)年京都の仏師・山口豊房が造ったと知られ、頭部は平安時代の(藤原)様式を伝えています。」
由緒:
聖武天皇の勅令で741(天平13)年に国家鎮護万民幸せのためで国毎に一寺院の建立を命ぜられ安芸国分寺もそのときの建立で、当時は七堂伽藍35の僧坊があり国内無比の大道場で信仰を兼ねた行政府でもあった。その後王朝の衰微二度の兵火にあうなど数々の秘録を遺し、明治初年まで藝藩主浅野家の祈祷所として代官の直支配下にあった。遺跡は西方玉垣内にある七重塔跡で昭和11年9月国の史跡指定を受けている。当寺に保存されている縁起巻物に依ると開祖は聖徳太子、尊は行基菩薩の作といわれ薬師如来像で仁王門諸仏像。
資料はお寺に設置の説明板を参考にしました。
そうだったのかここ安芸国分寺も真言宗御室派のお寺だったのかと思ったのです。吉備路をぶらリ散歩したとき立ち寄った備中国分寺が真言宗御室派のお寺だったことを思い出したからです。聖武天皇の詔(みことのり)で天平時代に国毎に建てられたという国分寺のことを2006年2月12日広島大学・佐伯昭先生の『安芸国分寺跡の調査から』という歴史講演会を聴き安芸国分寺をいままでとは違う目で見たのですが・・・
06.06.17裕・記編集
   関連頁:安芸国分寺跡     (備中)日照山国分寺

’06.02.22.撮影
東広島市西条町吉行2064

’06.02.22.撮影
本堂

’06.02.22.撮影
本堂

’06.02.22.撮影

’06.02.22.撮影
阿形金剛力士 吽形金剛力士
市重要有形文化財 國分寺仁王門(1棟、附祈祷札22枚) 平成11(1999)年3月18日指定
仁王門は一対の阿形吽形の金剛力士(仁王)像を両脇に安置しており中央の本柱の前後に控柱を4本計8本建てた典型的な八脚門です。柱はすべて円形で丈夫には舟肘木(ふなひじき)を置くだけの極めて簡素な意匠となっています。また、建立当初は屋根は茅葺はコケラ葺と考えられます。建築年代は16世紀中期と推定されますが現存する中世の八脚門ではこの地域唯一のもので当時の國分寺を考える上でも大変価値が高いものです。



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