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祭神: 速玉男神、伊邪那美神、奥津事解男神
相殿神: 宇迦魂神、奥津彦神、奥津比売神、大国主命、大己貴神
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| 由緒略記: |
当神社は人皇第68代後一条天皇の御代萬寿3(1026)年に紀州熊野大社より勧請と伝える。戦国期領主・阿曽沼氏により再建され、江戸時代海田市の繁栄と共に総氏神新宮社として氏子万民の尊崇を受けた。
藝藩主浅野公の信仰厚く鷹の羽の定紋を許され国家安穏、五穀豊穣など神明の加護を祈った・このほか藩士、藩儒の家内安全祈願、綿作、牡蠣養殖、豊作祈願等において霊験あらたかで神威明照御神徳高く氏子万民の諸祈願として尊崇篤き神社である。その後明治6年社号を熊野神社を改めた。 |
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神社仏閣の由来縁起などは基本的その神社仏閣が設置したものがあればそれに沿って紹介していますが、他資料をみていると1654(承応3)年海田市の猫屋次郎兵衛が氏神社(現在の熊野神社)を造営とあります。
何度もこの神社の前を通り境内参道横の原爆関連慰霊碑も撮影に訪れていたというのに神社へのお参りが今回だったという罰当りなわたしでした。 |
| 06.02.28裕記編集 |
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’06.02.06.撮影 |
| 広島県安芸郡海田町上市4-1 |
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世能荘總鎮守・熊野神社
文部大臣・灘尾弘吉謹書 |
石燈籠
文政8(1825)年乙酉9月 |
鳥居
天明7(1787年)丁未年9月吉日 |
額(最近作?)
熊野神社 |
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’06.02.06.撮影 |
| 社殿 |
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’06.02.06.撮影 |

’06.02.06.撮影 |
| 拝殿 本殿 |
御大典記念植 ヒマラヤ山杉 大正4(1915)年11月10日
御大典記念碑 昭和3(1928)年11月10日 |
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