しらかみしゃ
白神社

  このあたりは16世紀頃までは海であり、船がしばしば海面につきでた岩礁に衝突し遭難したので船人は岩礁の上に白い紙を立て、船の安全をはかる目印にしていました。その後ここに小祠を建て「白神」と称し、毛利、福島時代には広島の総氏神として住民から尊崇されていました。昭和20(1945)年8月6日米軍投下の原子爆弾で神社は焼失しましたが、昭和30(1955)年12月に再建されました。     爆心地から≒490m、  被爆当時町名は小町でした。
広島市指定史跡及び天然記念物 白神社の岩礁 指定昭和59年11月28日
  この岩礁は広島城築城当時(1591年)海岸線であったこの附近に露出していたものです。又国泰寺愛宕池(あたご)の岩と一体のもので、このような岩礁が市街地に残っていることは、三角州発展の歴史をたどるうえで意味深いものです。なお、かってこの岩礁上に白紙を立てて航行の目印としたとつたえられています。  
昭和60(1985)年3月 広島市教育委員会
この白神社はよく目立つのですがお参りに行くこともない不信心なわたしで立ち寄ることもなかったのです、資料を見て被爆樹木の撮影に行ってみよと思ったのです。被爆したクスノキはすぐわかりましたがクロガネモチが分りませんでしたが境内にはないと宮司の方に教えていただきました。春になって桜が咲いていた白神社を撮影し追加しました。
07.05.16追記   05.08.13裕編集
  関連頁:(境内の)被爆樹木・クスノキ

’06.04.09.撮影
広島市中区中町7-9

’05.07.16.撮影

’05.07.16.撮影

’05.07.16.撮影
白神社の岩礁 岩礁の上に社殿が・・・

’05.07.16.撮影

’05.07.16.撮影
手水鉢  弘化二(1845)年乙巳 六月吉日 社殿内部
被爆した常夜灯

’07.03.20.撮影

’07.01.24.撮影

’07.01.24.撮影
資料をみるとこの常夜燈の上部が(爆風によって)倒壊していましたが現在は復元されています。



広島の神社仏閣」編



広島ぶらり散歩へ
被爆した建物・構築物」編