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聖光寺は洞景山・聖光寺と称し足利尊氏の妹「梶子姫」の開基元広島県賀茂郡安宿(現:豊栄町)東西三十町南北二十町七堂伽藍を備え塔司十二ヶ寺あり、応永元(1394)年悦堂常喜禅師を開山とす。本尊は「十一面観世音菩薩」2度の火災にあい、寛永元(1624)年十世亀翁覚禅師の代、福島正則公の要請に依り広島・東寺町新川場に移転(現:中区小町)明治の頃まで曹洞宗大本山「総持寺」(横浜・鶴見)の輪番寺として大本山の住職をつとめた。昭和20(1945)年8月6日原爆で全堂宇を焼失。
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瑞川寺は元山号万松山と称す、明室周尊禅師の開基、菅原道真公西下のみぎり立ち寄り小憩「水を掬(きく)す瑞川の流れ 月を弄す 二葉の里」の詩を残す 〜天神清水の名あり〜 毛利輝元公、島普請の際二葉山に登り地見☆、瑞川寺に宿すこの時山号を広島山と改む後広島城主浅野公代、国泰寺十八世大雄魏健禅師を請し開山す。本尊は「阿弥陀如来」昭和20年8月6日原爆にて焼失。
昭和40(1965)年聖光寺二十八世・瑞川寺八世大機哲翁和尚の代、両寺合併「広島山・聖光寺」と称す。昭和58(1983)年本堂、増輝稲荷神社再建。昭和62年開山堂、平成元(1989)年観音像、平成7(1995)年鐘楼、平成10(1998)年山門を建立。 瑞川寺の寺号は瑞川霊園、洞景山の山号は禅庭の「洞景苑」としてその名を残す。 |
| 平成10年春二十九世住持大覚哲彦記之 |
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天正17(1589)年広島城を造営するため広島に来て明星院山(現:二葉山)に登り検分し、この寺に泊まり、五箇ノ所(箱島、在間、平塚、鍛冶塚、広瀬)などと呼ばれていた地名を広島と改め、広島山の山号を贈ったと伝えられています。 |
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元禄14(1701)年赤穂浪士討ち入り後、寺坂吉右衛門が仇討成就の知らせを国元の広島藩浅野家に報告し、持ち帰った大石内蔵助父子の遺髪を浅野家の菩提寺・国泰寺に葬って欲しいと申し出たが科人(とがにん)故浅野家は遠慮し瑞川寺に葬ることになったと伝えられ、お寺には大石内蔵助父子の供養墓があります。 |
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| 06.05.31更新 05.05.13裕・編集 |
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’05.06.07.撮影 |
| 広島市東区山根町29-1 |
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’05.06.07.撮影 |
| 昭和58(1983)年再建の本堂 |
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’05.06.07.撮影 |
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’05.06.07.撮影 |
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’05.06.07.撮影 |
| "赤穂義士大石内蔵助父子供養墓當山在於”の石碑 |
平成元(1989)年建立の観音像 |
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’06.01.21.撮影 |

’06.01.21.撮影 |
| 大石内蔵助父子供養墓 |
吾唯足知 |
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