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| 学問・書道の神として古くから崇敬された菅原道真が、九州大宰府に下る途中、尾長山の麓に船を寄せこの山に登って休息したと伝えられ、その場所に小祠が建てられました。やがてかって京都において浅野長晟の連歌の相手をした松尾忠正(熱心な菅公の信者)が広島を訪れ寛永17(1640)年民家に近い山の麓、道真由来の場所に社殿を建立して菅神を祀りました。その後享保年間(1720年頃)今の場所に社殿を再建したそうです。現在の本殿は饒津神社にあった招魂社(明治時代の建物)を昭和12(1937)年に移したものです。 |
| ※大正15(1926)年9月豪雨によって社殿などが倒壊流出したそうです。 |
| 1945(昭和20)年8月6日原爆によって社殿、随身門などは大破したが焼失は免れ、1947(昭和22)年に修復されたそうです。 |
| 爆心地より≒2600m 被爆当時町名:尾長町 |
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| ☆由来は上記『知新集』のものと神社記述(下記掲載)のものと違いもあります。 |
06.07.19裕編集 05.06.13裕・編集 |
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’05.06.07.撮影 |
| 広島市東区山根町36-16 |
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’05.06.07.撮影 |
随身門(ずいじんもん)の由来
この随身門は今から360余年前寛永17(1640;水戸黄門の時代)年に建立された由緒ある建築物です。 |
| 尾長天満宮は菅原道真公が901(延喜元)年ここにお立寄りになった処です。平安時代平清盛(安芸の守であった時)がこの峰にさしかかった時大豪雨と激しい落雷にあい絶体絶命の窮地に陥った、その折管大臣のご加護を祈り九死に一生を得た。清盛は神徳を感じこの一帯を『管大臣(かんだいじん)の峰』と名付け峰に社殿を建立したのが始まりです。1640(寛永17)年麓の現在地に社殿・随身門が造営されました。 |
昭和61(1986)年3月
尾長天満宮 |
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’05.06.07.撮影 |
| 社殿 |
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’05.06.07.撮影 |
| 拝殿 |
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