みょうじょういん
明星院

月光山大日蜜寺 明星院は、中国地蔵尊霊場第十一番、広島新四国八十八ヶ所霊場第62番札所のお寺です。
縁起:当山は真言宗御室派に属し、南光月素月山大日密寺明星院(常には月光山明星院)と号し、本尊は千手千眼観世音菩薩を祀ってあります。開基について史実を伝える適確な記録は残っていませんが、毛利輝元公が広島開府の時明星院山に登りて地形を相せしことの記述を見れば天正17(1589)年以前より存在していたことがわかります。(☆毛利輝元の生母妙寿院の菩提寺であったが長州移封後福島正則が明星院と改めた)境内地が広島城の鬼門(艮の方向)に当る所から藩制時代、歴代藩主の祈願所と定められ、毛利家・福島家を経て浅野家時代には寺領四百石を賜わり、末寺八ヶ寺を有し大伽藍にして宏壮を極め、藩内五ヶ寺の一つとして又、城下真言宗一派の触頭を勤めた名刹であります。
歴代藩主は親ら当寺に参拝し毎年正、五、九月を祈願の月と定め十二日には住職が八人の伴僧を随えて登城し、城中にて大般若転読祈願を修行しました。又当寺に於ては鎮国堂(桁行十三間・梁間八間の紫宸殿造りの祈祷堂、内陣は七檀構え)で二十九日より二夜三日の間二十人の僧を率いて普賢延命尊大法・同護摩供・聖天供・神供等の秘法を厳修し、その験は誠に灼で寿命長久・変成男児等藩主の志願悉く成就し、維新前に至るまで一日も怠ることなく続けられました。天保5(1834)年九代浅野斉粛公の時境内西半を割いて饒津神社を造営したる後は、祭祀を司る別当職も兼ねました。くだって明治42(1909)年より京都御室御所仁和寺別院となりましたが
昭和20(1945)年8月6日原爆により仁王門、赤穂義士堂の倒壊を除き全ての諸堂宇は悉く灰燼に帰しました。しかし、一山の法脈は絶えず本堂を再建し、焼失をのがれた秘仏を祀り、近郷善男善女の信を集め、今日に至っています。
原爆にも耐えた赤穂義士の木像があるというので訪ねたのです、被爆樹木もありました。またわが町の蓮華寺の本尊であったという千手千眼観世音菩薩にもお会いし拝まなければと思っていたのです。資料をみていると、常夜燈・墓石・五輪塔などが被爆したものと記述がありました。
爆心地から≒1800m  被爆当時町名二葉の里
資料:説明板他を参考にしました 07.06.07追記    05.05.21裕・記編集
関連あるお寺 蓮華寺(本尊:千手千眼観世音菩薩)   圓隆寺(原惣右衛門夫婦のお墓)

’05.05.11.撮影
広島市東区二葉の里2-6-25

’05.05.11.撮影

’05.05.11.撮影

’05.05.11.撮影
那羅延金剛 密迹金剛
吽形仁王 ↓阿形仁王
みっしゃくこんごう
密迹金剛
執金剛神の別名。密迹力士。
しゅうこんごうじん
執金剛神
〔「しっこんごうじん」とも〕武装忿怒(ふんぬ)の形をし、手に金剛杵(しよ)を持つ護法神。二神一対で仏の左右、または寺の山門の両側に置かれる。仁王。執金剛。持金剛。金剛神。金剛力士。密迹金剛。執金剛夜叉。
ならえん
那羅延
仏教の守護神の一。大力を有し、梵天または毘紐(びちゆう)天と同体とされる。那羅延金剛と混同されることがある。勝力。那羅延天。
こんごうりきし
金剛力士
金剛杵をとって仏法を守護する天神。忿怒(ふんぬ)の相をなす。金剛神。執金剛神。金剛密迹。仁王。密迹金剛。密迹力士。金剛手。
きもん
鬼門
陰陽道(おんようどう)で、鬼が出入りするとされる、不吉な方角。艮(東北)の方角。
うしとら
艮;丑寅
方角を十二支にあてていうときの丑と寅との中間の方角。北東の方角。鬼門にあたる。

’05.05.11.撮影

’05.05.11.撮影
本堂内

’05.05.11.撮影
(原爆の惨禍にも耐えた。明治時代の作とされ作者は不明)赤穂義士木像
広島浅野家と赤穂浅野家は本家分家の関係にあることからここ明星院に・・
原惣右衛門の木像
楠の一木造り、像高≒70cm



広島の神社仏閣」編


二葉の里歴史散歩道・案内図



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明星院
(境内にある)被爆樹木
      
イチョウ、ソテツ、マツ
(本堂内陣)赤穂義士木像
(境内に建立)伴資健翁之碑
(境内に建立)香川南浜先生碑
(境内に建立)景友碑(串本康三碑)