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| 古くは箱島明神とも称す 祭神:大綿津見神(おうわだつみのかみ) |
| 由緒:創建は奈良朝時代初期(約1250年前)此の地其の昔海辺なりし頃当碇神社の社辺り※に大岩盤在り太古よりしばしば舟が難破せし為地と海の神を鎮祭し奉ることに始まる従って当広島に於ける最古の氏神と考証される。天正十七(1589)年毛利輝元公広島城築城に際し改めて社殿を造営社領の寄進を為す。当白島地区の産土神として親まれ尊崇を集めた。昭和二十(1945)年八月六日米軍投下の原子爆弾に依り灰燼に帰す仮社殿に於し祭祀せしも昭和四十(1965)年春氏子崇敬者の協賛を得て再建今日に至る。 |
| ※往来の舟が碇を降ろしたことから碇神社と呼ばれるようになったそうです。 |
| 爆心地から≒1800m 被爆当時町名も白島九軒町 |
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| 資料:説明板他を参考にしました |
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| 牛田に住んでいましたのでここに神社があることだけは自転車で通り過ぎバスからみていましたので知っていましたが、被爆した樹木がいまも生き続けていることなどは知りませんでした。撮影に行ったときは花の季節が終ってからでしたので被爆した櫻は既に葉桜に・・・資料をみていてタブノキもあったのかと撮影に行きました。 |
| 05.11.17追記 05.05.18裕・記編集 |
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’05.05.11.撮影 |
| 広島市中区白島九軒町12-20 |
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’05.05.11.撮影 |
| 社殿 |
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’05.05.11.撮影 |

’05.05.11.撮影 |
| 拝殿 神殿 |
伝承 碇石跡碑 |
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☆もともと漢字を知らない(苦手の)わたしは、恥ずかしいことに・・・
イカリといえば『錨』の字を思い浮かべ鉄で出来ているから金偏だと納得します・・・
昔、この碇神社からさほど遠くない処に住んだことがなかったら『碇』の字は読めなかっただろうな〜と・・・ |
いかり
碇;錨 |
「いかり」は、海中の石を意味する古語「いくり」と同源とか言われているようです・・・
綱や鎖をつけて水底に投下し、これによって船をその場所に停止させておく船具。
古代から中世には石または石と木を組み合わせた木碇を使ったが、近世以後、鉄製となる。 |
| 関連頁: |
(平戸でみた)オランダ船の錨、中国船の碇 |
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