圓龍寺
  藏満山圓龍寺は、往古は佐東郡上安村南部山谷藏満(一説には藏光)という処に居住し宗旨は時宗でした、開基縁起は不詳です。その後海然という僧が寛政、応仁の頃上京し蓮如上人(1415-1499)の導きで浄土真宗に改宗し、毛利輝元の広島開発の時広瀬村に寺領を配し、福島正則の時代に今の寺町に移りました。寛永14(1637)年六世空了の代に寺法官位飛檐を許され、享保元(1716)年八世性覺の代に餘間に昇進しました。
昭和20(1945)年8月6日原爆により焼失し、戦後境内西側を国道54号線の建設で40%近くを失い今の敷地になったそうです。
常夜灯、墓石、石碑、天水桶などが被爆した構築物として資料に記載があります。
爆心地から≒1040m 被爆当時町名も寺町
  寺町通りを何度か歩いていますがこのお寺で足を止めたのは今回がはじめてでした、敷地が都市計画で狭くなったことにもよるのでしょう、本堂の横には(被爆したと思われるものも含まれる)無縁になった墓石などがまとめられていました。
お寺の縁起資料は知新集を参考にしました  08.04.20裕・記編集

’07.10.12撮影
浄土真宗本願寺派藏満山圓龍寺 広島市中区寺町3-13

’07.10.12撮影

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’07.10.12撮影
(被爆した)常夜灯 明和八(1771)年七月二日

’07.10.12撮影

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本堂横の整理された墓石、石仏など



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