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| 祭神: |
大綿津見神(おおわたつみのかみ) |
| 社殿: |
入母屋造、妻入、桟瓦葺(八坪) 境内地:六十四坪 |
| 由緒: |
文化年間(1804-1818)江波港開港の後、社殿創建と伝えられ、安政7(1860)年再興。明治4(1871)年神社調の際に衣羽神社に合祀されましたが、海洋の守護神として信仰篤く社殿は存置され、後に復旧しました。 |
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資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました、竣工時期不詳、構造は木造平屋
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| 爆心地から≒3360m 被爆当時町名は江波町 |
資料をみなければ、この辺りをぶらり散歩することもなかったろな〜と思いながら地図をみながら海神社を訪ねました。高潮対策でしょう防潮堤が、海神社があるこの地区を守っているようでした、(2007年)6月でしたが暑い日で汗が吹き出て木陰で汗を拭いて、拝殿前で頭を垂れ撮影しました。
交流ウォーク関係で何度か訪ねた今(2008)年「被爆建物」プレートを広島市が設置していました(2007年にはありませんでした)。由緒は広島県神社辞典に記述がありましたので参考にし掲載しました。江波山気象館からも見えましたので撮影しました。 |
| 08.05.19更新 07.10.13裕・記編集 |
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’08.04.19撮影 |
| 広島市中区江波東2-16-1 (手前:江波港と神社向こう:本川) |
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’07.06.05撮影 |
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’07.06.05撮影 |
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| 奉納年代から被爆した鳥居でした |
社殿は市の資料でも被爆建物と記述がありました |
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’07.06.05撮影 |
| 拝殿と本殿 |
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’07.06.05撮影 |
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| 海神宮地所修繕之碑 明治42(1909)年3月?明治は分かりました |
鳥居には昭和6(1931)年と刻まれていました |
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古事記の海神宮(わたつみのかみのみや:綿津見神の宮)、日本書紀の海幸彦、山幸彦の物語があります。
二人はそれぞれが持っていた釣竿と弓矢を交換しました。
弟神・彦火々出見尊(ひこほほでみのみこと)が、兄神・火酢芹尊(火照命:ほでりのみこと)の釣りざおで魚を釣っていたところ、釣鉤をとられてしまいました。
別の釣鉤を作り兄神火酢芹尊に返しましたが、返す返さないの押し問答で困っている時、海神の助けで海神宮を訪れ釣鉤を探し出すという話です、子供の頃聴いたことがありますもう昔々になりましたが少し思い出しました。 |
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