ひろしま とうしょうぐう
広島東照宮
  広島東照宮は、正保3(1646)年に広島藩主の浅野光晟が造営を開始し、慶安元(1648)年に完成しました。
  1945(昭和20)年8月6日原爆によって本殿、拝殿などは倒壊・焼失しました。
当時、第二総軍の通信隊が常駐しており通信兵の消火活動で全焼は免れ、唐門、翼廊、手水舎などが残りました(現在も江戸時代の建築の特徴をよく伝えています)。
境内では多数が負傷し、さらに避難者であふれ当日(8月6日)に石段の下に臨時救護所が設けられたそうです。
境内で被爆した宮司の奥様は10月に、宮司も翌(1946)年に亡くなったそうです。
爆心地から≒2100m   被爆当時町名も二葉の里
焼失した社殿は1965(昭和40)年に再建、さらに本殿・幣殿・拝殿は1984(昭和59)年に建替えられました。
光晟の生母・振姫(ふりひめ、家康の三女)、夫人・満姫は家光の養女であったことから夫婦揃って、広島東照宮の造営を念願したそうです。
東照宮とは、江戸幕府初代将軍徳川家康が朝廷から「東照大権現」という称号を贈られ、その後 神として崇められ「東照神君」「権現様」などと呼ばれるようになったものです。
三代将軍徳川家光(1604-1651)が、膨大な費用を掛けて「日光東照宮」を建設し、諸国の大名は忠誠の証として自らの領地にも東照宮を造営したといわれています。
 06.07.19更新    資料は設置の説明板他より04.03.31再編集   03.03.31裕・編集

06.01.21撮影
広島市東区 二葉の里2‐1‐18

04.01.02撮影

03.03.28撮影

03.03.28撮影

03.03.28撮影
原爆慰霊碑と石段 唐門(広島市指定重要有形文化財) 広島市指定重要有形文化財説明版

03.03.28撮影

03.03.28撮影
社殿 手水舎(広島市指定重要有形文化財)



「広島の神社仏閣」編


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