| 1868 |
明治元年 |
二葉の里に水草霊社(広島護国神社の始まり)造営 |
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※朝命により戊辰戦争の戦死者78柱の御霊を 斎祀したのが起源。 |
| 1934 |
昭和9年 |
広島西練兵場西端(現在の市民球場辺り)に官祭廣島招魂社として遷座 |
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※明治10年以降の各戦役・事変に於ける戦死戦病没者4262柱を合祀する。 |
| 1939 |
昭和14年 |
内務大臣指定の廣島護國神社と改称 |
| 1945 |
昭和20年8月6日 |
原爆によりことごとく焼失 |
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(☆占領下の一時期広島神社と改めたが独立後は広島護国神社に復した) |
| 1956 |
昭和31年 |
現在の地(中区基町21‐2)に復興 |
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※累次合祀して現在9万餘を奉斎する
このうち1万柱は地域・職域・義勇隊・動員学徒・女子挺身隊等の公務原爆関連の御祭神。 |
| 1993 |
平成5年 |
社殿を改築造営 |
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| 資料は神社前設置の由緒説明板他より |
06.04.13更新 02.04.30裕・編集 |
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06.02.18撮影 |
| 広島市中区基町21-2 |
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02.04.27撮影 |

02.04.27撮影 |
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| 鳥居 |
社殿 |
本殿 |
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04.01.01撮影 |
| 今年は帰省した長男と初詣に行きました、次男も友達と行ったそうで遠くから私達を見たそうです・・・ |
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04.01.01撮影 |

04.01.01撮影 |
| 人出多く拝観制限をしていました |
社殿前の参拝順序の矢印 |
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04.05.12撮影 |

04.05.12撮影 |
現在:お堀の東側(RCC中国放送南側)に建てられている被爆した鳥居
被爆当時:広島護国神社は現在の市民球場の処に位置していました |
廣島護國神社・額 |
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ぼしんせんそう
戊辰戦争 |
1868(慶応4)年戊辰の年に始まり、維新政府軍と旧幕府側との間に16ヶ月余にわたって戦われた内戦。
正月の鳥羽・伏見の戦いに勝利した政府軍は、四月江戸城を接収、上野にこもる彰義隊はじめ関東各地で旧幕府主戦派を討滅、奥羽越列藩同盟を結んで対抗する諸藩をも会津戦争を頂点に十月には帰順させた。翌年5月、最後の拠点箱館五稜郭を陥落させ、内戦は終結、明治絶対主義国家確立への途が開かれた。 |
えき
役 |
戦争。たたかい。 「西南の役」「後三年の役」
役と言う文字は遠征・長征をさす言葉であり、軍事行動に対する中立的な言葉。 |
せんそう
戦争 |
武力を用いて争うこと。
1)二国または2グループに分かれた国々が武力を用いてたがいに敵対行為をとる状態。
国家国際法上、宣戦布告によって発生し、戦時国際法が適用される。
2)国内の武装勢力どうしが敵対行為をとる状態。 |
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