にぎ つ じん じゃ
饒津神社
主祭神は浅野長政、幸長、長晟。相殿神は長政夫人未津姫を祀る。後に長勲が合祀されました。旧県社。
1706 宝永3年 浅野家六代(広島藩主としては四代)綱長の時に廣島城の鬼門方位といわれた明星院客殿西方に初代浅野長政の位牌堂を建立
1810 文化7年 十代(広島藩藩主としては八代)斉賢が九代重晟とともに新たな位牌堂を建立
この位牌堂が饒津神社の先駆的なものとされています
1835 天保6年 十一代斉粛が祖先の追孝の為に社殿を現在地に造営、二葉御社と称しました
1873 明治6年 饒津神社と改称 (社格が県社となりました)
1945 昭和20年 原爆により全焼
1949 昭和24年 本殿再建
1952 昭和27年 拝殿再建
〜1984 〜昭和59年 (境内の一角を道路用地として売却)境内が整備されました
2005 平成17年 両部大鳥居再建
  牛田に住んでいましたので、この饒津神社横を(今は道路幅が広くなり境内が狭くなりましたが)何度となく通っていましたが、初詣でお参りに行くときぐらいで、境内の中を見回したこともなかったのです。
おじさんの「原爆記」の関連資料として2004年この饒津神社を訪ねてみたのです、それからたびたび境内を散策するようになりましたが、気が付かなかったことがしばしばありそれごとに追記しています。
  標柱(標縄柱)の頁を編集するので久しぶりに饒津ガード方面より撮影した今(2008年)回、境内の被爆したマツが無くなっているのがさびしい画像になりましたが原爆で消失した木製の鳥居が再建されています。歩道に「二葉の里歴史の散歩道・案内図」が新たに設置されていましたが、それにもまして交通量が増えたと実感したのでした。
敬称は略しました 08.03.17更新    02.05.01裕編集

08.03.12撮影
広島市東区 二葉の里2‐6‐34

02.04.27撮影
饒津ガード方面(西)より見る(原爆により傾いたといわれる松・2003年枯死しました)

02.04.27撮影

02.04.27撮影

03.06.03撮影
標柱(標縄柱) 鳥居 原爆被災説明板
(原爆被災説明板)饒津神社  爆心地から約1800m
  原爆の炸裂により強烈な爆風のため、本殿や唐門などの建物が一瞬にして破壊されました
その直後本殿から出火し 他の建物も次々と延焼していきました 
爆風により境内の樹木は吹き倒され参道の石灯籠も倒されました
境内には燃え盛る市内から大勢の人々が避難してきて臨時の救護所が設けられました
  1945(昭和20)年8月20日 尾木正巳氏撮影

02.04.27撮影

02.04.27撮影

02.04.27撮影
唐門 本殿 饒津神社・神社額

05.11.03撮影

06.01.21撮影
唐門の前に(木製の)鳥居が工事中でした、2005(平成17)年完成したようで、2006年正月完成を撮影しました。



「広島の神社仏閣」編


二葉の里歴史散歩道・案内図



広島ぶらり散歩
饒津関連頁
饒津神社(全体)
饒津神社・原爆被災説明板
(枯死した)被爆樹木・松
(境内に残る)原爆の傷跡復興記念碑
(再建された)向唐門
(再建された)両部大鳥居
(境内社)稲荷大明神
(境内建立の)浅野長勲公頌徳碑
(境内建立の)坂井虎山先生之碑
(境内建立の)河野小石先生碑
(境内建立の)木原桑宅翁之碑
(境内建立の)北清事変忠死者紀念之碑
(境内建立の)臨時陸軍検疫部職員死者追悼之碑
(被爆した)標縄柱
(境内建立の)標縄柱銘并序・碑
(境内建立の)広島県職工学校開校の地・碑
(番外)饒津神社の絵馬