陸軍五師団兵営跡・原爆被災説明板

  明治時代になって広島城附近(広島開基の地ということから基町と呼ばれる)は藩政時代の政治軍事拠点から陸軍の拠点として軍事施設が整備されていき急速にその姿を変えていったのです。
1945(昭和20)年8月6日(月)8時15分米軍投下の原子爆弾で城郭建築は悉く倒壊または焼失し、同時に軍事施設の大半が壊滅しました。軍関係者のみならず多くの動員学徒もその犠牲になりました。
07.07.26再編集   03.05.11裕編集

04.05.15撮影
広島市中区基町21  (広島城お堀外南やや西側)

’03.05.08 撮影
陸軍五師団兵営跡・原爆被災説明板
爆心地から約400〜1200m
  広島城天守閣を取り囲むように並んでいた司令部や各部隊の木造2階建兵舎など、すべての建物は1945(昭和20)年8月6日、原爆により瞬時に崩壊し、火災に包まれて灰燼に帰した。
倒壊した建物の廃材が散乱した中に、兵士や軍馬が投げ出され、司令部をはじめ歩兵・砲兵・輜重隊の約1万人の兵士が死傷した。
広島城とその周辺部 撮影・米軍



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