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1939(昭和14)年4月 宇品凱旋館(鉄筋コンクリート造3階建)が建設されました。
1945(昭和20)年8月6日被爆時は(爆心地から≒4660mであったので)窓ガラスが割れた程度だったので、
9時過ぎ頃から避難してくる被爆者で大広間は溢れ、軍医2名と看護婦5名が応急治療をしたそうですが2時頃からは宇品線(南段原〜宇品)で運ばれてくる負傷者も含めて1300名を超え対処できなくなって、臨時野戦病院になった似島の検疫所に暁部隊が所有していた船を救護艇として負傷者を運んだそうです。
似島には1万余の被爆者が運ばれたそのうち半数は亡くなったそうです。 |
おじさんの原爆記にも嘉孝さんを探して宇品まで行き似島に収容した人名を調べてもらったと記述があるのです・・・
当時の面影はなくともその辺りを自分の足で立ってみなくてはと思い立ち寄った宇品中央公園などだったのです。 |
| 07.12.07更新 07.08.20再編集 03.08.09裕・記編集 |
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07.10.21撮影 |
| 広島市南区宇品海岸3-10 宇品中央公園 |
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03.07.21撮影 |
| 皇紀二千六百年 昭和十五(1940)年二月十一日 陸軍中将 田尻昌次書 |
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07.10.21撮影 |
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| 1945 |
昭和20年11月 |
広島県引揚民事務所として利用される |
| 1946 |
昭和21年6月 |
コロ島からの引揚者3990名を乗せた摂津丸が外地引揚第1船として宇品港に入りました |
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※葫蘆(コロ)島、旧満州(中国東北部)遼東半島の奥、渤海湾の北 |
| 1948 |
昭和23年 |
〜1951(昭和26)年原爆傷害調査委員会(ABCC) |
| 1948 |
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〜1970(昭和45)年広島海上保安本部(後・第6管区海上保安本部) |
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1970(昭和45)年以後空き家となりました |
| 1974 |
昭和49年12月 |
宇品凱旋館は解体され、跡地は宇品中央公園となり、宇品凱旋館建設記念碑が残されました |
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