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地図をみてこの辺かなと思ったのですが、他の原爆被災説明板の形をしていなかったからか節穴の目のわたしは最初わからなかったのです・・・広島陸軍糧秣支廠倉庫壁の一部が保存されている根際に設置されていました。
最初に行った時は、草ぼうぼうでありましたが1週間ほどあとに行った時は草が刈られていましたので、ちゃんと管理されていると実感したのでした。 |
| 03.08.09裕・記編集 |
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03.07.21撮影 |
| 広島市南区宇品海岸3-11附近 (広島南道路の傍、広島海員会館北側) |
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広島陸軍糧秣支廠倉庫・原爆被災説明板
爆心地から約4600m |
陸軍糧秣支廠は、戦時において必要な兵隊の食糧や軍馬の飼料を調達、補給するために設置されました。1894(明治27)年に日清戦争が始まると、当時山陽鉄道の西端であった広島駅とここ宇品を結ぶ軍用鉄道を二週間あまりの突貫工事により完成させ、宇品港は第二次世界大戦が終結するまで陸軍の海外への輸送基地となりました。この倉庫は、1910(明治43)年頃、軍需物資を保管するため、宇品駅のプラットフォームに沿ってレンガ造りで建てられました。
1945(昭和20)年8月6日の原爆による被害は、爆心地から離れていたため、軽微にとどまり、傷ついた大勢の被爆者はこの付近の陸軍の関連施設に収容され、手当てを受けました。戦後、日本通運株式会社に払い下げられ倉庫として利用されてきましたが、1997(平成9)年、広島南道路の整備にあたり、被爆建物として歴史を後世に伝えるため、その一部をモニュメントとして保存するものです。 |
| 旧広島陸軍糧秣支廠 1985(昭和60)年4月 井手三千男氏撮影 日本通運株式会社 寄贈 |
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03.07.28撮影 |
広島市市民局国際平和推進部の資料をみていると「原爆被災説明板」に加えられています、
直接的な原爆の被害を受けた写真ではないのですが説明文にあるごとく被爆した人々をこの当たりを拠点にしていた暁部隊が運び手当てしたそうです、おじさんの原爆記No11にも原爆で行方不明になった嘉孝さんを探して宇品まできたと記述があります。
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