大田洋子文学碑

  1945(昭和20)年8月6日白島九軒町にあった姉の家に疎開中被爆した小説家大田洋子さんの文学碑です。
原爆症発症の恐怖と闘いながら、常に原爆の使用を告発する強い姿勢をとり続けていましたが、1955(昭和30)年「夕凪の街と人と」を最後に
晩年は原爆小説から距離を置くようになったそうです。1963(昭和38)年取材旅行先の福島県猪苗代町で心臓麻痺により死去されました。
資料を見ていて、中央公園に建立されていることを知り訪ねました、中央公園のいわゆる広場の西側に建立されています、碑の設計が広島百橋の著者である四国五郎さんと云うこともわかりました。
05.04.23追記    02.07.16裕・記編集

 05.02.17撮影
広島市中区基町 中央公園

 03.07.17撮影
大田洋子さん略歴  (資料:碑文を参考にしました)
1903 明治36年11月20日 広島県生まれ、本名初子
進徳高女卒業(広島市の女学校)
東京で文筆活動小説「流離の岸」「櫻の國」など
1945 昭和20年8月6日 白島九軒町にあった姉の家に疎開中被爆
佐伯郡玖島村(現佐伯町)に避難「屍の街」執筆
1948 昭和23年 GHQのプレスコードにあい1部削除などしてやっと出版
1963 昭和38年12月10日 福島県猪苗代町中の沢温泉取材中急逝
1978 昭和53年7月16日 知人有志で「核時代の平和の道標」として文学碑を建之
歌 碑 (屍の街より)

     歩  叫  と  天  天  少  
     い  び  歌  に  に  女  
     て  な  の  焼  焼  た  
     行  が  や  か  か  ち  
     っ  ら  う  れ  れ  は  
     た     に  る  る     
                       

 03.08.22撮影

 03.08.22撮影
大田洋子文学碑建立委員会

設計  四国 五郎
施工  栗尾 勝三



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