はちようざん めいほういん れんげじ
八葉山 名峰院 蓮華寺
  広島県真言宗教団のお寺で、御本尊は弘法大師広島新四国八十八ヶ所霊場・第三十六番になっています。
いまはお参りする人も僅か?なこのお寺には大いなる由来があったのです、縁起が記述してある説明板を読めば、ただわたしが無知なだけだったのです。ぜひあなたもにも知っていただきたくての紹介です。
(伝わるところによると)空海上人は修行中の唐の萬寿廟より三鈷(=さんこ、金剛杵の一つ)と数珠の二品を日本に向けて投じ、数珠は阿岐国(≒いまの広島、安芸国より古い呼び方)姫髪山の老檜に懸かり(もう一品の三鈷は紀の国・高野山に到った)。唐から帰国した空海上人は大同元(814)年八月、阿岐国姫髪山に堂宇を建立しそれを八葉山名峰院蓮華寺とした。
蓮華寺の年譜 資料は説明版を参考にしました
806 大同元年 弘法大師空海開基
889
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989
寛平年間 .この時期に堂舎焼失
904
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931
二代住職住持覚阿闍梨が京・仁和寺より千手千眼観音菩薩像を申請け再興
1221 承久3年 鳥籠山城主阿曾沼光網の祈願所となる
この間一時期日蓮宗に改宗その後長仁上人によって再興(年代不詳)
1357 延文3年 鳥籠山城主野村近江勝直の帰依する所となる
1508 永正5年 小早川敬平四男真正が蓮華寺住職であったとき大繁栄
1527 大永7年 蓮華寺焼失(阿曾沼氏が大内側から尼子側に寝返り大内、毛利側に攻め落とされたため)
1691 天正19年 毛利輝元は蓮華寺住持俊性法印の弟子、俊恵(48歳)を多聞院初代住職とした
1596
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1602
慶長年間 福島左衛門大夫正則、芸備の太守の時に寺領没収され、京・仁和寺の支配する処となる。
本格は江戸築地に移す。
末寺二十四坊は浄土真宗に改宗して広島寺町に移り現在に至る。
1602 慶長7年 堂宇の仏尊(本尊千手千眼観音菩薩像等)は広島明星院に引取られる
1929 昭和4年 この地に生まれた真教僧都は大いなる由縁・仏縁を惜しみ蓮華寺山麓に堂宇を建立、安芸中野大師堂蓮華寺として再興した。現・蓮華寺より山頂まで≒2kmにわたり八十八ヶ所石仏を建立、本堂跡に堂を建て奥の院(今はなく休憩場所となっている)として上下を結んだ。
05.05.07裕・記編集
関連頁 蓮華寺山八十八ヶ所石仏    明星院(本尊千手千眼観音菩薩像が引取られたという)

05.04.03撮影
広島市安芸区中野2-65-20

05.04.03撮影

05.04.03撮影
ハイキング途中境内でお寺の縁起などを説明していただきました



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