ながれかわきょうかい
流川教会

  世界平和記念聖堂のことを調べていくうちに流川教会のことをし知り、訪ねてみようと思ったのです。資料でみた被爆当時の写真が移転した現在の教会の外壁に埋め込まれていましたので撮影して紹介することにしました。
 旧・流川教会、爆心地から約900m
  現在の鉄砲町10(旧町名:上流川町)に日本メソヂストの3代目の会堂として竣工し、1939(昭和14)年宗教団体法公布(宗教団体への国家統制が強化)され、1941年日本基督教団に統合されたそうです。
設計 W・M・ヴォーリズ
(1880-1964、米国人)
構造 内藤多仲(1886-1970)
施工 藤田組
流川教会略沿革
1927 (昭和 2)年12月 日本メソヂスト教会竣工
1928 (昭和 3)年1月 日本メソヂスト広島中央教会として献堂式
1941(昭和16)年6月  日本基督教団広島流川教会
1943(昭和18)年 教会一部徴用され軍服仕立て工場となる
1945(昭和20)年8月 6日8:15原爆で屋根窓吹飛び大破した
1970(昭和45)年 上幟町に移転
1971(昭和46)年 被爆建物であったが解体された
資料は広島平和記念資料館発行「ヒロシマの被爆建造物は語る」他を参考にしました。                  04.04.07追記編集   03.07.18裕・記編集

03.07.18撮影
屋外階段外壁に旧流川教会の説明板が設置されています
広島市中区上幟町8-33

03.07.18撮影

03.07.18撮影
下の写真は現流川教会・屋外階段外壁に掲載されていた説明板の写真を掲載しました
当時は、現電停「胡町」筋向い(※上流川町)にあった、被爆後焼け残った外枠壁を用いて再建されたが
原爆放射熱で脆くなっていた壁が崩れやすく修理困難のため、保存を断念した。
屋根窓は原爆で吹き飛んだが外壁と鐘楼は残り、補修され1971まで使用されていたそうです
本川小学校平和資料館の被爆後の市内模型を撮影したものです
中國新聞社 福屋百貨店 (電車道挟んで手前が)流川教会 (搭がある一番手前)広島中央放送局



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