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「原爆記No1」おじさん夫婦、私のオヤジ夫婦もそして原爆記にも出てくる母方のおじいさん夫婦もこの牛田に住んでいました(駅裏で被爆したお袋は幸いな事に90歳を過ぎた現在も健在でこの地に住んでいます)。
(この道を通っておじさんの家それから坂を登って兵器部修理所の集合所になっていた女学院に通じています。)
万一の時の避難場所として一応牛田国民学校・早稲田神社裏山・不動院が避難先に決められていたようで、市街地から常盤橋、神田橋(被爆で1部へこんでいたそうです)工兵橋を渡って避難してくる人々で溢れたそうです。
8月7日の昼過ぎに呉海兵団の医療救援隊が半壊した牛田国民学校に到着し校庭にテントを張り臨時救護所を開設し負傷者の応急処置をしたそうですが、川土手、道筋には既に亡くなった人々や息絶え絶えの無数の人達が横たわっていたと聞くにつけ目頭が熱くなります。 |
| 03.08.02裕・記編集 |
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‘03.04.18撮影 |
二又川、二又土手といって小高くなっている、左手が昔の東区に行く道(現在はバスが通る)
我家(お袋の住んでいるところもこの先です) |
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盆の墓参りに行きながら二又川の水の汚れを見て歩いていました、ふと顔を上げるとこの看板が見えたのです・・・
そうなのです“一級河川”だったのです二又川は溝に毛が生えた程度の川と思っていた私の認識不足でした。
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‘03.08.12撮影 |
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‘03.04.18撮影 |
| 女學院に至る道(この先より坂道になる)、おじさんの家はこのあたりで今もわずかだが田圃があります |
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白島九軒町から牛田方面を見る
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‘03.04.18撮影 |
京橋川(干潮で川底を見せている、現在は少し汚いがシジミも獲れる)
手前が白島側で向うが牛田方面で二葉山を見る |
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‘03.04.18撮影 |
中区白島九軒町で河川傍は現在公園になっており正面が慰霊碑向うが二葉山
(ここでも多くの方々が亡くなりここで火葬をしたそうです) |
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‘03.04.18撮影 |
京橋川越しに牛田方面をみる、右手が二葉山
私の兄貴達はこの京橋川で泳いでいたといいますが戦後川の汚染が進み泳ぐどころではなかったのですが、
近年川の浄化も少しではありますが進みシジミを採る人も見かけるようになってきています。 |
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‘03.04.18撮影 |
常盤橋上(西詰)から牛田方面を見る 映っていませんが右手(東詰近く)が饒津神社です
京橋川(北=上が上流) 手前高架橋は新幹線用でその向う鉄橋が在来線(山陽本線)です |
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‘03.04.18撮影 |
| 原爆記にも出てくる中州も僅かに想像できる様に思いますが今はありません・・・ |
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