福屋百貨店

  福屋百貨店新館としてのこの建物は1936(昭和11)年5月に着工し、1938(昭和13)年4月鉄骨鉄筋コンクリート造8階・搭屋2階、地下2階の建物として竣工しています。
SRC造であった事から被爆倒壊はまぬがれましが原爆被災説明板の写真を見るとわかるように窓は吹き飛び内部は全焼したそうです、各階で仕事についていた方々の記録が無く何人の方々が死傷されたかわからないそうです。
爆心地から≒710m   (被爆当時町名も胡町)
そんな歴史を刻んだ福屋も1951(昭和26)年第一次改修で被爆前の賑やかさを取戻し、1955(昭和30)年〜1985(昭和60)年に4次にわたって増改築されています。(1972年3次増築で外装が全面的に改装されたました)市内電車白島線は現在の通りから一本西側(牛田行きバスが通る道)の通りを通っていた事も今回調べていくうちに知りました。
  「おじさんの原爆記No9-2」を読んで被爆後2・3階が山口陸軍病院として機能した事を知り、また電車道を渡った西側・みずほ銀行の前に原爆被災説明板がある事を今回関係資料を調べて知りました。原爆被災説明板を撮影に行ったときはみずほ銀行の前でしたが宝くじ売り場は残ったものの銀行業務は紙屋町の方に移っています。
07.06.29更新    03.08.02裕・記編集
   関連頁:福屋百貨店・原爆被災説明板

‘03.04.28撮影

‘03.04.28撮影
広島市中区胡町6-26   (戦後増築部分)

‘07.02.17撮影
原爆被災説明板と福屋(被爆した建物部分は現在も改修され使用されています)
被爆当時の使用状況
8F 福屋百貨店・事務所
7F 広島貯金局
6F 中国海運局
5F 広島貯金局
4F 金属回収会社
3F 木材統制会社
2F 軍需管理局
1F 軍需管理局
B1F 福屋百貨店・雑炊食堂
B2F 陸軍通信隊
参考資料 広島市市民局国際平和推進部資料
ヒロシマ散歩 植野 浩氏著 
福屋百貨店の歴史

1929 昭和4年 広島で唯一の百貨店として創業
1938 昭和13年  鉄骨鉄筋コンクリート造・地下2階地上8階搭屋2階として建てられました、
外装は淡黄色のテラコッタ(素焼)陶器を貼り、全館冷暖房設備がありました。
 
1944 昭和19年  建物のほとんどが軍関係などに接収されました。
また、軍の命令で外装全体を黒褐色の塗装で塗られました。
1945 昭和20年 8月6日 原爆での倒壊はまぬれたが、爆風と熱線で内部は全焼し外郭のみ残りました。
8月8日 臨時野戦病院として800人あまりの重傷者を運び込まれたそうです。
8月9日〜  2・3階を山口陸軍病院として軍・民問わず被爆者の治療に当ったそうです。
(おじさんの原爆記より)
8月17日〜 (血便が出る患者の急増で赤痢患者として)2・3階は伝染病舎になりました。
(急性放射能障害と明かになる一ヶ月ほど伝染病舎として使用されたそうです)
1946 昭和21年 1月〜 1階の一部で配給酒の立飲み営業をはじめたそうです。
04.04.19構造規模訂正



被爆した建物等」編



(おじさんの)原爆記
広島ぶらり散歩「建物」編



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