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「平和塔」の概略の由来は下記ですが、この塔が建立されている場所が広場となっており、標識を見ると公園(トイレ、遊具などがないからか)ではなく『皆実町緑地』と云うことがわかります。
ここ皆実町で(宇品から北に伸びてきている)御幸通りが2方向に分かれます、左(西)側の道を「大手町通り」、左(北)側の道は「東松原停車場通り」と明治時代そう云っていたことが窺える道標石が設置されています。 |
1895(明治28)年7月御幸通りに仮設の凱旋門が作られ帰還兵が日清戦争戦勝に沸く市民に迎えられ、
1896(明治29)年中国五県からの義援金で「日清戦争凱旋碑」が建てられ、
1947(昭和22)年夏占領軍の目を気にし碑銘の上にセメントを塗り『平和塔』と彫込まれたそうです。 |
| 05.12.20裕・記編集 |
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| 関連頁:(皆実町緑地に建立の)平和塔 |
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03.12.17撮影 |
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03.10.09撮影 |
| 左側の道が「大手町通り」、右側の道が「東松原停車場通り」 中央の塔が『平和の塔』 |
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03.12.17撮影 |
| 北側より皆実町緑地をみました |
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| (皆実町の)道標 |
| 、左(西)側の道を「大手町通り」、左(北)側の道は「東松原停車場通り」 |
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