部隊跡記念樹碑(ノモンハン事件参加部隊跡碑)


ノモンハン事件、聞いた事はあったのですがどういう事件だったかはこの碑を訪れるまでは知りませんでした。
1977(昭和52年)事件後38年平和を取戻しているように見える日本国で建立された
その意味を建立に携わった方々は何を考えているのか碑の前で佇み考えたのでした・・・・
03.08.25. 裕記編集

’03.07.17撮影
広島市中区 基町 (広島城堀・北側)






































聯 
隊 

















昭和五十二年=1977年

ノモンハン事件
1939年5〜9月

満州とモンゴルの国境ノモンハンで起こった日ソ両軍の国境紛争事件
1939(昭和14)年5月12日モンゴル人民軍(外モンゴル軍)がノモンハンからハルハ川を越えて満洲軍と衝突する事件が勃発付近のハイラルに駐留していた関東軍第23師団が処理要項に従って出撃、外モンゴル軍を退却させたが、ソ連軍がモンゴル側の援軍に駆けつけ、反撃に出た。
日本は関東軍1万5千名などを動員したが、8月ソ連空軍・機械化部隊の反撃によって壊滅的打撃を受けた日本軍の損害は大きく、全兵力約5万6000人のうち8440人戦死、死傷率は30%を超えた(特に第23師団1万5000人の死傷者は実に1万2000人弱、死傷率は75%を上回り、壊滅した)。8月23日独ソ不可侵条約が締結されたため9月15日モスクワで停戦協定が成立この事件で軍部の対ソ開戦論は後退。
りくぐん えいじゅ
陸軍衛戌病院
平時は第五師団関係兵士の診療、戦時には戦地から戦傷病兵の収容治療並びに衛生兵の教育養成を担った。
1937(昭和12)年広島陸軍病院となる。



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