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「原爆記No11」おじさんと嘉光さんが、建物疎開中不明になった嘉孝さんの上衣を見つけた電車橋とはこの天満橋でした。私は相生橋の事かと思っていましたが、嘉光さん本人に7/27伺い撮影に行きました、資料も訂正しました。
橋は、既に昭和44(1969)年に架けかえられていますので当時の面影はありませんし、天満川護岸も戦後整備されているようです。この橋の西詰、南側には当時嘉孝さんが通学していた広島市立中学校の慰霊碑が建立されています。 |
| 被爆当時の橋は爆心地から≒1050mにあり1912(大正元)年11月竣工した鉄橋でした、原爆による損傷はあったものの避難路となったが、同(昭和20)年10月の洪水で流失したそうです。 |
| 05.02.11裕記 04.06.04追記 03.08.02裕・記編集 |
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’03.07.28 撮影 |
| 広島市西区観音町・天満町と中区小網町・堺町を繋ぐ北東より天満橋を見る |
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’05.01.13 撮影 |
| 北西より天満橋を見る |
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’03.07.28 撮影 |

| 設 計 |
広島電鉄株式会社 |
| 施 行 |
上部工 極東工業株式会社
下部工 山陽工業株式会社 |
| 設計荷重 |
600屯 |
| しゅん功 |
昭和44年11月 |
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| 市内電車接近中 |
天満橋竣工プレート |
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’03.07.28 撮影 |