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陸軍幼年学校の門柱が残っている事は以前から知っていましたが、由来などに付いてはおじさんの「原爆記」の関連資料として調べて行くうちに知りました。
被爆当時は、幼年学校の少年達は郡部(高田郡吉田町:現安芸高田市吉田町))に疎開していて人的被害はなかったそうですが、ここの建物を使用していた第224師団司令部や各部隊の見習士官など約80名の方々が被爆死されたことは現在ここの地に立っても知る事は出来ません・・・ |
| 資料をみていると、先日解体された広島陸軍幼年学校炊事室は爆心地から≒1340mですが、いまも残されている広島陸軍幼年学校・門柱は爆心地から≒1140mでしたので追記しました。 |
| 門柱の横に碑があることは2001年に訪ねたとき知りましたが2006年交流ウォークのときに改めて撮影し別頁に編集しました。また、府中町に再興された紀元2600年記念碑他も関連頁として編集しました。 |
| 07.07.08追記 06.06.09更新 03.08.02. 裕・編集 |
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’03.07.09 撮影 |
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’03.07.09 撮影 |
陸軍幼年学校:‘職業軍人’を少年期(13〜15歳)から養成する為全寮制3年の学校であった。
(卒業後、予科士官学校2年及び士官学校3年を経て陸軍少尉になった)
| 1897 |
明治30年 |
仙台・東京・名古屋・大阪・広島・熊本の6箇所で開校 |
| 1928 |
昭和3年 |
国際連盟「パリ不戦条約」で軍縮の一貫として広島陸軍幼年学校廃校 |
| 1936 |
昭和11年 |
再び開校 |
| 1945 |
昭和20年 |
敗戦までに49期3345名の職業軍人になる少年を送り出した。 |
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説明碑より |
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’01.12.07撮影 |

’01.12.07撮影 |

’06.02.18撮影 |
| 戦前のこの地の配置図 |
廣島幼年學校説明碑 |
説明文 |
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