騎兵第五連隊跡 (大本営直轄・第二総軍司令部跡)

  1896(明治19)年第五師団の再編強化の一貫としてこの地に「騎兵第五連隊」が設置されました、騎兵隊そのものが実際の戦闘に参加したのは1914(大正3)年から四年間(第1次世界大戦中)であったそうです。
1945(昭和20)年4月大本営は、本土決戦体制として東日本の要として東京に第一総軍司令部、
西日本の要として広島の(当時機能していなかった騎兵第五連隊内)この地に第二総軍司令部の設置をきめ、大阪以西の陸軍・海軍を統括したそうです。
爆心地から約1800m
被爆時第二総軍司令部の四百数十名の将兵のうち百余名の方々が即死状態で亡くなったそうです。
※本土決戦で分断された場合独自の判断で対応できる中国総監府は千田町の広島文理科大学内に置かれました。
『原爆記』を書き残したおじさんは、騎兵隊に所属していたわけではなかったのですが軍馬に乗った姿が凛々しかったとお袋がよく云っていました。お袋が被爆したのがここにあった建物だったそうで、その日剣道大会の表彰状を書いていたため、あの時間建物の中にいたので直接的な原爆被害に合わなかったというものの被爆の惨状を目の当たりしながらも命からがら牛田の自宅に帰った・・・後年白血球が少なくなったりと間接的な被爆の影響は身体の中に。
  騎兵第五連隊がこの附近にあり第二総軍司令があった事も、原爆記の関係資料を調べるまでは知りませんでした。
まして木々に囲まれた(見えないように囲ってあるような?)この碑がある事を何度も横の道路を通った事があるというのに知りませんでした、この碑を撮影に行った時も位置がわからず洗濯物を干しておられたご近所の奥様に傍まで案内していただきました。
2005年からJR(旧国鉄)関連建物が位置していたこの辺りが更地になって来ています、戦前は東練兵場、騎兵第5連隊が位置していた処であったそうですが、2003(平成15)年はじめてここを撮影したときとまったく変わってきました。
07.02.25追記    03.08.02.裕・記編集

‘07.02.10撮影
広島市東区二葉の里3‐3 

‘03.06.20撮影
木立に囲まれて建立されています。

‘07.02.10撮影

‘03.06.20撮影
陣没 軍人軍馬追悼之碑
陸軍中將 鈴木莊六書
騎兵第五聯隊跡 碑
愛馬(とも)よ眠れ 碑

‘07.02.10撮影

‘03.08.22撮影
(視線を遮るように樹木で囲われています)


※西伯利亞=Siberia シベリア
陣没 軍人軍馬追悼之碑(裏面)
騎兵第五聯隊創立以来各戰役ニ於ケル
戰病没軍馬ヲ追悼スルノ餘リ西伯利亞出征
凱旋ノ秋建之
  大正九(1920)年十一月十八日 騎兵第五聯隊将卒一同
れんぺい
練兵
兵隊を訓練すること。調練。
れんぺいじょう
練兵場
練兵をする所。れんぺいば。
きへい
騎兵
1)騎馬の兵。
2)馬に乗りその機動力を利用する兵種、またその兵。戦闘に参加したのは第一次大戦が最後。



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