ひろしま りくぐん  ひふく ししょう
旧・ 広島陸軍被服支廠
現在残っている広島陸軍被服支廠だった建物は
爆心地から≒2670m
 
被爆当時町名:出汐町 鉄筋コンクリート造レンガ貼、2階建て、1913(大正2)年8月竣工
1905(明治38)年4月陸軍被服廠広島派出所が宇品線の沿線に当初管理棟、工場、倉庫などが木造で設置されました。(1905年は、日露戦争で旅順が1月陥落し、戦勝ムードにあふれていた)
1907(明治40)年に支廠に昇格。
被服支廠は、軍服・軍靴・軍帽その他兵隊が身につける小物や付属品等を生産・修理・保管・供給する施設で、被服の大規模な製造・修理工場と保管供給を行う倉庫群がありました。生産施設は主に敷地北側に配置され、倉庫は南側に、管理・福利厚生関連施設は中央部に集約されていたそうです。
1913(大正2)年竣工の10〜13番倉庫4棟は長辺94m高さ17mの巨大な鉄筋コンクリートでレンガ貼りで竣工しました。
戦争激化に伴い機能分散で木造建物が取り壊される建物疎開が実施され歯抜けのようになったといいます。原爆の爆風で屋根などに大きな損傷を受けたが火災は免れ、被爆直後は臨時救護所となったそうです。
1946(昭和21)年4月から広島高等師範学校、1949(昭和24)年からは広島大学教養学部〜1953(昭和28)年まで鉄筋コンクリートの倉庫を使用。県立広島第一高等女学校、1949年からは皆実高校、1953年からは皆実高校と広島工業高校が木造建物の一部を修復して利用していました。
1953(昭和28)年広島大学教養学部が移転してから1995(平成8)年まで倉庫4棟は日本通運出汐倉庫としての倉庫や広島大学の学生寮として利用されましたが、現在は空き家となっています。
  今残っている広島陸軍被服支廠の建物は1913(大正2)年に竣工したそうです。日露戦争期にかけて、陸軍糧秣廠宇品支廠 ・大阪砲兵工廠広島派出所・陸軍被服廠広島派出所が設けられたそうです。
日露戦争後二つの出張所がそれぞれ兵器支廠 ・被服支廠 となり、1945(昭和20)年に被爆するが、戦後一時期広島県庁と財務局、国税局、建設局等の出先機関庁舎として使われ、現在は広島県(1〜3号棟)・財務省(4棟)が管理しているそうですが利用はされていません。
07.06.01別冊編集   06.11.26追記  03.05.17裕・記編集

03.05.16撮影
広島市南区出汐2-4-60

03.03.28撮影
門を閉ざした状況の現在空き家です

03.05.16撮影

03.05.16撮影
原爆の爆風で曲がった鉄扉もあります 曲がった鉄扉は西側の面にしかありません(爆心地方向)

03.05.16撮影
(奥に見える)被服廠建物



軍都・廣島関連施設戦跡」編


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