頼山陽煎餅 (藝陽堂)

  最近、旧西国街道に関する紹介をしばしば見聞きするようになりました、紹介本を見ているとこの頼山陽煎餅のことが紹介されていました。古く江戸時代からの名物ではないのですが、現在では珍しい手焼きということから紹介されるようになったのでしょう。
1911(明治44)年に創業者が考えたという頼山陽煎餅、戦後1952(昭和27)年に現在地に移転したという藝陽堂(芸陽堂)。
頼山陽煎餅と杓子形をした煎餅を500円分買いました、そして帰宅後食してみました。幾分やわらかく卵の味が勝っている頼山陽煎餅より固めで卵の味がしない(入ってないのかも知れませんが)杓子煎餅の方が昔ながらの煎餅の味で好みだな〜と思いました、今のバターまみれのクッキーなど足元にも及ばぬぽど美味いと・・・

{誤解ないように書くのですが、頼山陽煎餅が不味いということを言っているわけではないのです、戦前まではおそらく卵が貴重な時代でこの煎餅の卵の味に高級感を感じホッとしたのかも知れないと思ったのですが、戦後生まれ貧乏性の私には小麦(メリケン)粉と砂糖で焼き上げた(みなが貧しかった?時代の)煎餅の方がより好みに合ったということです}
らいさんよう
頼山陽
(1780-1832)
江戸後期の儒学者・歴史家・漢詩人・書家。名は襄(のぼる)、通称は久太郎、別号を三十六峰外史。春水の長男。江戸に出て尾藤二洲に学ぶも、性豪放にして遊蕩に日を送り、自邸内に監禁。のち上京して書斎「山紫水明処」を営み、各地を遊歴、文人墨客と交わり、すぐれた詩文や書を遺した。その著「日本外史」は幕末期における歴史観に大きな影響を与えた。他に著「日本政記」「日本楽府」「山陽詩鈔」など。
関連頁:樽煎餅(西条・平田屋)    04.09.01 裕・記編集

04.08.27撮影
広島市中区堺町2-6-23

04.08.27撮影
昔ながらの手焼き煎餅・・・・焼いているところを撮影させていただきました。

04.08.27撮影

04.08.27撮影
市内電車・土橋駅から西の方へすぐに店舗
店舗から煎餅を焼いているところが見えました
煎餅を焼く道具は
もみじ饅頭梅ヶ枝餅のものと基本的には同じものでした。
500円分煎餅を下さいとお願いしました。 表:頼山陽の姿と頼山陽先生の文字を焼きこまれている
裏:頼氏、山陽、外史等の文字が凸に出ている       
頼山陽煎餅 おおよそ68×68mm 杓子煎餅
表には宮島大鳥居が・・








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