みゆき ばし
御幸橋・原爆被災説明板
  原爆の爆風で石造の勾欄が双方とも倒れ南側は川中に転落。宇品方面へ避難する罹災者で橋上は大混乱凄惨をきわめたと聞きます。
爆心地から≒2300m
この御幸橋・原爆被災説明板は他の原爆被災説明板よりも大きく目立つので以前より設置されている事は知っていましたが、今(2003)年はじめて撮影しました。2007年橋上で信号停車した時撮影し追加しました。
07.07.15追記     03.08.04裕編集
  

07.05.08撮影
広島市中区千田町三丁目 (御幸橋西詰南側)

03.07.28撮影
御雪橋 爆心地から約2300m
  1945(昭和20)年8月6日、午前8時15分広島市の中心部上空約580mでさく裂した原子爆弾がもたらした膨大な被害によって、広島市の大半は瞬時に壊滅し、多くの被爆者が救護を求めて南へ、北へと逃れていきました。
この写真は、被爆後3時間を過ぎたこの地点を撮影したものです。
爆心地から南南東約2300m離れていた、ここ御幸橋西詰めの警察官派出所前には建物疎開作業中に被爆した中学生をはじめ、多くの被爆者が群がり、わずかばかりの応急手当を受けていました。
松重美人氏撮影
まつしげよしと
松重美人
1913(大正2)年呉市出身。被爆当時、中国新聞社写真部員で中国軍管区司令部報道班員、翠町の自宅で被爆、1945(昭和20)年8月6日の午前中に撮影したのが上記の写真(当日撮影5カットの内の一枚)。2005年1月16日死去されました、享年92歳。



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