広島城・原爆被災説明板

  明治時代になって広島城附近(広島開基の地ということから基町と呼ばれる)は藩政時代の政治軍事拠点から陸軍の拠点として軍事施設が整備されていき急速にその姿を変えていったのです。
1945(昭和20)年8月6日(月)8時15分米軍投下の原子爆弾で城郭建築は悉く倒壊または焼失し、同時に軍事施設の大半が壊滅しました。軍関係者のみならず多くの動員学徒もその犠牲になりました。
広島城天守閣は原爆により跡形もなく崩壊したが焼失したわけではなかったそうです。
  07.07.26再編集   03.05.11裕・編集

’07.03.12撮影
広島市中区基町21  (広島城お堀外東北側)

’03.07.09撮影


広島城・原爆被災説明板
爆心地から約1000m
  毛利輝元が1589(天正17)年築城以来350余年、広島の歴史とともに歩んできた広島城は、1945(昭和20)年8月6日午前8時15分、原爆の一閃(いっせん)により五層楼の天守閣も跡形なく崩れ落ち、石垣だけが残った。
城内の樹齢数百年の老杉は全滅し濠一面に生えていたハスの葉も焼けただれた。また、炎から逃れてきた人びとがこの濠で多数死亡した。
被爆後の広島城 米国返還写真
原爆被災板が1980(昭和55)年より市内各地に設置されはじめましたので、ここの記述が350余年となっています。
1989(平成元)年既に築城400年を祝っています。
おじさんの原爆記(No3)にも跡方も無く壊滅したと目の当たりしたその無残な姿を記述しています。



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