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| 資料をみていて本川小学校に(被爆)校舎の一部が残され平和資料館として開館(無料です)していることは知っていましたが、訪れたのは今(2004年4月)回がはじめてでした。声高に平和平和と叫ぶ事などない、躯体むき出しのこの地下室でわたしはしばし佇み58年の歳月の流を考えてみました。 |
| (校舎は)410m※という至近距離で被爆した本川国民学校は、爆風と3000℃〜4000℃といわれる高熱に見舞われ約400人の児童、10人の教職員、そして校舎内で勤務していた広島県土木部職員などの多数が犠牲になりました、奇跡的に助かったのはわずか2人だったそうです。 |
| 校舎は爆心地から≒410m (被爆当時町名:鍛冶屋町) |
| 本川小学校事務室で訪問者名簿に記帳し、写真を撮ってもいいのか伺い最小限の撮影をし、今回HPに掲載しました。平和記念公園から相生橋(本川)を渡って一筋西南すぐに位置しています、平和記念公園から少しばかり足を伸ばし訪ね、平和の中で生きているいまを考えられてみてはとお勧めの資料館です。 |
| ※原爆被災説明板では一番近い距離を採用しているのでしょう350mとなっています |
07.04.03更新 04.04.28裕・記編集 |
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| 関連頁:袋町小学校平和資料館 |
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’04.04.22.撮影 |
| 広島市中区本川町1-5-30 本川小学校内 (左側に本川地区原爆慰霊碑が建立されています) |
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| 被爆前の学校の写真が展示されていました (右が保存建物の平面図) |
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’04.04.22.撮影 |
| 本川小学校平和資料館・説明板 |
展示されていた原爆投下時の写真 |
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’04.04.22.撮影 |
| 地下室・階段横の被爆で破壊された鉄製窓枠(明かり取り用の窓)当時のままのようです |
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’04.04.22.撮影 |
| 被爆後の廣島市街地模型(上の玉が原爆炸裂位置) 以前は広島平和記念資料館に展示されていたものだそうです |
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’07.01.07.撮影 |
| 北側の一般道から、躯体剥出しの本川小学校平和資料館みました、アーチ型の窓、いまでもおしゃれな造りなのです |
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校舎 |
爆心地から≒410m |
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講堂 |
爆心地から≒420m |
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竣工時期:1928(昭和3)年7月 |
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竣工時期:1933(昭和8)年5月 |
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解体時期:1987(昭和62)年(一部保存) |
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壊滅時期:1945(昭和20)年8月6日 |
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構造など:鉄筋コンクリート造、3階建・一部地下1階 |
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構造など:鉄骨造、平屋 |
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設計者:増田清 |
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設計者:不詳 |
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| 1873 |
明治6年1月 |
本川尋常高等小学校創立 |
| 1928 |
昭和3年7月 |
(RC造3階建、一部地下1階)
広島市内公立小学校としてはじめての鉄筋コンクリート造校舎として竣工 |
| 1945 |
昭和20年8月6日 |
約400名の児童、10数名の教職員※、校舎内に勤務していた県庁土木部職員等多数の方々が犠牲になったそうで奇跡的に助かった方は2名だけだったそうです。 |
| 1951 |
昭和26年 |
南北(正面)校舎撤去され新増築された |
| 1987 |
昭和62年 |
一部を残し解体された |
| 1988 |
昭和63年5月 |
残された(地下室がある位置を1階とともに≒400u)を平和資料館として整備保存された。 |
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※資料によって亡くなった方の数に違いがありますが多くの方々が亡くなり混乱の中では・・・ |
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