多聞院・原爆被災説明板

  当初、廣島郵便局殉職者之碑を訪ねた時は、断片的な知識でしかなかった多聞院のこと、原爆被災説明板が設置されていることも知らなかったのです。市内の原爆被災説明板を訪ねるようになって、多聞院・原爆被災説明板も訪ね撮影し頁を編集しました。
1945(昭和20)年8月6日夕方県庁が設置されたことなど、この説明板を読んで知ったのですわたしは。
爆心地から約1750m  被爆当寺町名は段原町
1945(昭和20)年8月6日高野源進県知事は、福山地方に出張中で原爆による難をのがれた午後6時半には比治山多聞院に「広島県防空本部(県庁)」を開庁した。ということなど後日広島原爆戦災誌をみて知りました。
多聞院の頁がごちゃごちゃとして見難くかったので、今回原爆被災説明板、単独の頁に再編集しました。
07.10.04再編集   04.05.29裕・編集

04.04.06撮影
広島市南区比治山町7-10  多聞院入口横に設置
多聞院・原爆被災説明板
爆心地から約1750m
原爆の爆風により瓦が全部落下した多聞院本堂(昭和9年建立)には、1945(昭和20)年8月6夕刻、倒壊・全焼した県庁(※県庁の緊急避難先に指定されていた)に替わり県防空本部が置かれました。
翌日、県庁は東警察署に移りましたが、同院は救援物資の受付や、比治山に逃げてきた多数の被爆者などに握り飯の配給の手配などが行われました。
爆風で梁を破損した鐘楼(※当時鐘は供出でなかったが1949(昭和24)年に平和の鐘として製作奉納されたそうです)は現在もそのまま保存されています。
爆風により屋根を大破した本堂 1945年9月下旬 松本栄一氏撮影

04.04.06撮影



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