ざ こ ば
雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板
  県立広島第一中学校職員生徒追憶之碑を訪ねたときに、この原爆被災説明板が設置されている事を知り撮影しました。雑魚場町の町名は知っていてもここも雑魚場町だったのかと知ったのです。
1945(昭和20)年8月6日は、雑魚場町附近でも、建物疎開中作業中の多くの方々が犠牲になったのだと説明板を読んで知ったのです・・・わたしは。
03.05.10裕・記編集
広島市中区国泰寺1‐2‐49 (国泰寺高校に設置)

03.05.02撮影
旧雑魚場町地区周辺・原爆被災説明板
爆心地から約1100m
第二次世界大戦末期、空襲による建物の延焼を防ぐ目的で、木造家屋を解体する建物疎開が各地で実施されていました。この作業には隣組や職場の人たちで組織された義勇隊をはじめ多くの国民学校や女学校、旧制中学校の学徒も動員されました。原爆が投下された1945(昭和20)年8月6日この雑魚場町地区(現在の国泰寺町一丁目)では約2500名の生徒たちが作業に従事していましたが、その多くが痛ましい犠牲者となりました。
市立浅野図書館屋上から旧雑魚場町の県立第一・第三中学校を望む
米軍 ピーターソン氏撮影



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