| 御奉斎の嚴島大明神は「道主貴※」と称え奉り、専ら、天孫を助け奉り、常に天孫の為に、海陸の安全を斎ひ奉り給ふ神なれば、古来皇室及国家の鎮護、海陸の守護神として、盛んに、上下の尊信敬排を受けさせ給う。嚴島御本宮の御鎮座記によれば、佐伯の郡の住人佐伯鞍職に幽事を、百王を鎮護す。と示現ありしと云ふ。この御鎮座の所を合浦といふ。 |
| ※道主貴(みちぬしのむち):宗像三女神の総称 |
廿日市観光協会、商工会 |
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| 本来厳島は島全体が聖地と見なされ、人が住むことは禁じられていたので、対岸に遥拝(ようはい)のために建築物が造られ、そこから発展したともいわれているが今日の地御前神社です。仁安3(1168)年平清盛の支援により厳島神社と同様、現在のような社殿が修造されました。当時、国府から厳島へ渡ることが難しく、陸沿いに地御前神社まで来て海中の鳥居から参拝していたそうで、江戸時代の様子を描いた「厳島図会」には、海の中に鳥居が描かれています。明治までは外宮と称し、地方にあることから地ノ御前社、地御前神社と呼ばれるようになりました。現在の大宮社、客人社の神殿は宝暦10(1760)年の再建ですが、平安期の社殿様式を今に伝える建築物です。 |
昔、宮島口で仕事をした時(JR電車での通勤で)車窓から木々の隙間に見るだけだったこの地御前神社をお参りすることも無く時が過ぎ・・・今(200年9月)回交流ウォーク探検隊で、10月の交流ウォーク本番で2度訪れお参りしました。
神社前の(廿日市町時代設置の)「地御前神社社記」を読むと(戦前の)神社信仰の一端がわかるような内容でしたので取り上げました、現在の神社解説は廿日市市観光協会の資料を参考にしました。 |
| 07.11.14裕・記編集 |