| 藤原氏は宗親のあとも代々菩提寺として洞雲寺に領地を与え、その死亡後も代わって大内氏がこれらの寺領を認め、さらに毛利氏の時代には、重臣の桂元澄、ついで元就の四男元清が桜尾城代として洞雲寺を菩提寺と同じように保護したため、寺には40通に及ぶ戦国期の貴重な古文書(県重文)が残されている。また、寺内には藤原興藤(おきふじ)、桂元澄、毛利元清夫婦の墓や陶晴賢の首塚(いずれも市重文)などがあり、戦国期の興亡の姿をいまに語りかけている。これらを含め同寺には現在、県重要文化財7点、市重要文化財7点がある。昭和63年3月 廿日市市教育委員会 |
| 広島新四国八十八ヶ所霊場第八十二番で、本尊は釈迦如来のお寺です。 |
| 廿日市のこの地区を訪ねるのは、はじめてで、交流ウォーク探検隊に参加していなければ、これからも知らなかったろ〜なと思ったのです。この洞雲寺を案内していただき、(廿日市の)桜尾城主が厳島の神主であったこと、東の毛利氏、西の大内氏の狭間、抗争する地でもあったことを少しですが知りました。 |
| 07.09.08裕・記編集 |