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子安地蔵尊の由来 この地蔵堂に奉安されし地蔵尊は昭和20(1945)年8月6日の忌まわしき原爆による付近一帯の焼失の際、地中に埋もれしものが、その後昭和25(1950)年頃広島市の復興計画による当地の市営アパート建設工事着手時、地中より掘り起こされたと聞き及ぶ。当地の管理者であった浪岡氏が信仰心の厚い御方にて、昭和26(1951)年春彼岸の頃地蔵尊のお堂を建立され現在に至る。
戦前より昭和30(1955)年頃までは、京橋川、比治山橋周辺は非常に美しき川の流れで川砂もきれいでシジミ貝も多く、釣りを楽しむ事もできた。夏ともなれば飛び込み台も建て子供達の楽しい水泳の場所でもあった。当時は水難事故も頻繁でありしが、地蔵堂の建立により不思議に少なくなり誰言うことなく「これは、お地蔵さんの御加護」と信じ地域住民の子安地蔵尊と信仰を集める。以来、昭和町町内会の年中行事の一つとしてお彼岸地蔵盆のお祭りを賑やかに執り行っている。又信仰厚き数多くの方々の献ずる線香も絶えることはありません。今、お堂建立以来30有余年の星霜を経て老朽化のため河岸緑地整備に併せて地域住民の喜捨を仰ぎ新築す。 |
| 昭和63(1988)年7月吉日昭和町町内会長・前忠男謹書 |
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06.10.21裕・編集 |
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