じょうおんじ
長遠寺

沿革
  長遠寺は山号を無量山(むりょうざん)といい、もとは日興門流法華宗勝劣派後の本門宗(現・日蓮本宗)京都要法寺の末寺で開山は紀州出身の日堯上人で、広島藩主になった浅野長晟より入国に際し請われて大手町七丁目の地に寺領を賜り元和5(1619)年建立されました。御本尊は、はじめ日興門流大曼荼羅及び日蓮聖人木像であったが、元文5(1740)年板曼荼羅三宝四天王、鬼子母神、日興上人の像を加え、鎮守三十番神社の御神体をも合祀していました。文政3(1820)年境内で巨鐘を鋳造、時の名士であった飯田篤老は「広島における諸宗寺院百を以て数う而も鐘を寺中鋳たるは古今を通じて当寺のみ」と誉め称えたと伝えられています。
昭和20(1945)年8月6日の原爆により七堂伽藍は焼失しました。
爆心地より≒790m  
(被爆当時町名:大手町7丁目)
御本尊: 板曼荼羅、日蓮聖人木像は(島根県平田市本妙寺に)疎開していたので現存しているそうです。戦後仮本堂建設から新本堂、客殿建設と復興をしています。
資料は訪問時頂戴したパンフレットを参考にしました 05.10.01裕・記編集
  関連頁:(長遠寺)被爆樹木・ソテツ

05.09.17撮影
広島市中区大手町1-10-6

05.09.17撮影
被爆した被爆当時の鬼瓦が(現在は)外壁に取り付けられています 爆心地側が熱線で白っぽくなっています
鈴木三重吉の墓碑

05.09.17撮影

05.09.17撮影
お墓には「三重吉永眠の地・三重吉と浜の墓
生前に三重吉が自書したものが刻まれている
昭和23(1948)年6月建立
被爆樹木・ソテツ

05.09.17撮影
現在のソテツは株分けし移植されています。



広島の神社仏閣」編



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(平和記念公園)鈴木三重吉文学碑
(子ども文化科学館前)三重吉記念碑
三重吉生誕の地碑
(長遠寺)鈴木三重吉の墓碑