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浅野公が元和5(1619)年広島入府の際、勧請しました※。
当稲生神社は、豊受大神・大國主命・稲生武太夫(いのうぶだゆう)公霊神をお祀りしております。五穀豊穣・商売繁昌・厄除けの神様として親しまれ崇敬されてきました。とくに享保18(1733)年6月18日広島の大火災の時、稲生神社と大工・忠七(信仰厚く稲生神社の世話人)の家が類焼をまぬかれたことから火災除けの神様として篤く信仰されています。
また、 江戸時代中期の三次藩士だった稲生武太夫は強く勇敢な妖怪退治と知られ人々を守ったことから魔除け・強運を招く神様ともいわれています。 |
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昭和20(1945)年8月6日原爆により焼失しました。
昭和23(1948)年再建され、老朽化で平成5(1993)年現在の社殿になりました。 |
| ※「芸藩通志」には元禄7(1694)年天野某なる者が勧請と記されているそうです。 |
07.06.20追記 05.04.29裕・編集 |
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| 関連頁:(稲荷町稲生神社の)被爆したきつね像 |
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05.04.29撮影 |
| 広島市南区稲荷町2-12 |
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05.04.16撮影 |
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05.04.16撮影 |

07.01.20撮影 |
| 社殿を見上げる |
社殿内部 |
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| 稲生武太夫(いのう ぶだゆう) (1735-1803) |
江戸時代中期三次藩士。幼名・平太郎。
平太郎16歳のとき、友人と肝試しに真夜中の比熊山へ登ったところ、平太郎の屋敷に旧暦7月三十日間にわたって毎晩のようにお化けが姿を変えて出てき脅かした※が平太郎少しもひるむ事がなかったので、三界の魔王もさすがに降参し木槌を与えたという話で、この話が「稲生物怪録」や「稲生物怪録絵巻」などとして伝えられ、日本の代表的な妖怪物語の一つになっています。 |
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※一説によると、相撲取りの権八と武太夫がどっちが肝が太いか、試すべく5月3日比熊山の千畳敷で百物語をし、その夜は何事もなく終わり、5月、6月と過ぎ、7月1日から妖怪現象が始まったと・・・
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