ふくぞうじ
福蔵寺

 創建の時代は不明。一説には奈良時代の僧・行基(ぎょうき)の創建といわれています。
浄土宗のお寺で、江戸時代より山号を出生山と称しています。
高須の旧国道に置かれている延命地蔵は、妊婦を守護する仏として約300年前より信仰されており、江戸時代中期には、広島城下の人々の参詣で賑わい門前に市をなしたと伝えられています。また、境内には、源平の戦いで活躍した蒲冠者(がまのかんじゃ)源範頼(みなもとののりより)(義経の兄)のものと伝えられる五輪塔があります。
鐘楼は1905(明治38)年竣工で(昭和2年竣工の庫裏と共に)被爆した、1985(昭和60)年4月改修工事が施されています。(鐘本体はありません、恐らく戦時中に供出されたと思われます。
 爆心地より≒4200m (被爆当時町名:古江町)
以前この近くで仕事をしたというのにこのお寺をまったく知りませんでしたわたしは、ただこの近くに昭和30年代まで火葬場があったことだけは聞いた事がありましたが。
※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 07.03.08源範矯頼廟分離  05.03.07裕記・編集
   関連頁:(福蔵寺の)源範頼廟

05.02.19撮影
広島市西区古江上1‐659

05.02.19撮影

05.02.19撮影

05.02.19撮影
由縁齋碑銘       説明版   本堂
ゆえん
由縁
事の由来。ゆかり。

(接頭)古く神に関連のある名詞に付いて、「神聖な」「清浄な」の意を表す。
ひめい
碑銘
石碑に刻みつけた文章。

05.02.19撮影
(被爆した)鐘楼

05.02.19撮影
人が屋根を担いでいる様な作りをしています 人(力士か?とも思いましたがちょんまげがありませんので・・・)
福蔵寺・忠魂碑

05.02.19撮影

05.02.19撮影

05.02.19撮影
表面:忠魂碑  第五師團長 原口幼?太郎謹書 裏面:昭和五(1930)年五月建之

05.02.19撮影
地蔵尊の由来
このお地蔵さんは、元古江五十林(現在・古江上二丁目)に古江地区住民の火葬場があり、中央の高いのが迎え地蔵その左右各三体は六地蔵の愛称で呼ばれていたご尊形である。
昭和4(1929)年4月4日に古田村が広島市へ合併時の条件として昭和37(1962)年を最後に火葬場が廃止となり。仮安置の場所より、平成4(1992)年に現在地に移転したものである。  
合掌



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