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祭神:少名毘古那神(すくなびこなのかみ)
1731(享保16)年創建といわれ『芸藩通志』※に安那社と記されているそうで、1814(文化11)年丹那古絵図に穴神社と書いてあるそうです。この附近に海洞があり、その海洞の上に社殿を建てたから穴神社と呼ばれるようになったとも聞きますが。
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※芸藩通志は、1825(文政8)年全159巻159冊。頼杏坪らが編纂。
地誌「芸備国群志」(1663年)を改訂増補するた、1819年〜1820年に藩内の記録、古文書などを集め、調査を行ってまとめられた。著書名が「藝(安藝)」のみとなっているのは、備後国の分の地誌が広島藩領のみであるためだそうです。
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| 資料を見ていたら被爆建物として紹介がありました、1920(大正9)年竣工、耕造は木造平屋。 |
| 爆心地から≒3840m 被爆当時町名は仁保町 |
| 広島市は1993(平成5)年『被爆建物等保存・継承事業実施要綱』を制定しています。その補助で保存工事をした被爆建物に穴神社もあり補助を受けています。
1998(平成10)年 穴神社本殿の修復(18万円) と資料にありました。 |
| ※広島市は爆心地からおおむね5km以内で被爆した建物を「被爆建物」と呼んでいます。 |
05.01.03裕・編集 |
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