にほひめ じんじゃ
邇保姫神社

祭神 : 邇保都比売神(にほつひめのかみ)
相殿神:帯中津日子神(仲哀天皇)、息長帯日売神(神功皇后)、品陀和氣神(應神天皇
  神功皇后が三韓出兵を終え、お帰えりの途中この所に一夜ご宿陣になり霊験を頂いた邇保都比売神を鎮祭報賽され鎮護綏撫の神祐を祈られ翌日出発の際邪気祓いのため白羽の矢を放たれたところこの山に矢が止まったので矢を納めて島の鎮守とした。仁和元(885)年8月上旬宇佐八幡宮を勧請し正八幡宮と称した。
正應元(1288)年三浦公より社領三十石を賜ったが、慶長年間福島正則公の時、悉く召上げられた。社殿は文暦二(1235)年に再建、さらに現在の本殿は享保年間(1716〜1736)の再建といわれる。旧村社。
現在の本殿、拝殿竣工は享保年間(1716-1736)
爆心地より≒3620m (被爆当時町名:仁保町)
今(2007年9月27日)朝ラジオを聞いていたら邇保姫神社9月27日午前1時半ころ出火、(市消防局は消防車など16台を出動させたが)本殿や庫裏などを焼失(全焼)したそうです。爆心地から≒3620mで被爆した貴重な被爆建物でもありますので驚き、実に残念に思っています。
07.09.27(9:00)追記   04.12.30裕・編集

04.12.11撮影
広島市南区西本浦町12‐13
南から石段を登ったところが社殿(階段苦手の方は)北側の参道は坂道(スロープ)になっています

04.12.11撮影
標柱と両部鳥居 孝敬事神 忠誠護國

04.12.11撮影
社殿

04.12.11撮影

04.12.11撮影
社殿内部 手水舎(も被爆した構築物です)

04.12.11撮影
神社の由来など説明していただきました
出征軍人(の碑)

04.12.11撮影
出征軍人(の碑)
明治六年が読めます

対象は戊辰戦争(1868-1869)か?
明治六(1873)年は「第五軍管広島鎮台」が(広島城域内の)第一分営跡に設置、第二八大隊創設した年です。



広島の神社仏閣」編



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(被爆した構築物等をみる)



(軍都・廣島関連施設戦跡)