(広島別院に建立の)表忠塔

  明治37・8(1904、1905)年戦役に出征し戦地に傷病を得て当地豫備病院にて病没した竹中陸軍少将以下2179名遺骨を納安し永く殉国の誠忠を追慕せんが為に本塔を建設す                 大正七(1918)年四月
大正7(1918)年建立の石碑ですので広島別院の境内で被爆したものでしょう・・被爆したソテツを撮影しようとしたときに鐘楼の南側にこの碑をみました。
04.11.22裕・編集

04.10.21撮影

04.10.21撮影
表忠塔    龍谷教子積慈院書
※明治37・8年戦役=日露戦争(にちろせんそう)
 1904(明治37)年2月から1905年にかけて、満州・朝鮮の支配をめぐって戦われた日本とロシアの戦争。
ロシアの南下政策に対して日本は英・米の支持の下に強硬政策をとり開戦。日本軍は旅順攻略・奉天会戦・日本海海戦で勝利を収めたが、軍事的・財政的に限界に達し、ロシアでは革命運動の激化などで早期戦争終結を望み、両国は米国大統領ルーズベルトの勧告をいれて、1905(明治38)年9月ポーツマスで講和条約を締結した。



軍都・廣島関連施設戦跡」編



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