ほんがんじ ひろしまべついん
本願寺広島別院

浄土真宗本願寺派 広島別院の由来
本願寺広島別院は、その昔長禄3(1459)年武田山の麓に建立され、龍原山仏護寺と称し当時は天台宗であったが、同寺第二世円誓は本願寺(第八代)蓮如上人に帰依し、明応5(1496)年浄土真宗に改宗した。第三世超順の頃、 毛利輝元は仏護寺を護持し、天正18(1590)年に輝元が広島城を築いた時、仏護寺を広島小河内(打越)町へ移転、次いで慶長14(1609)年(藩主・福島正則が)現在の地に移転させ寺町としました。
明治35(1902) 年11月には広島別院仏護寺と称し、更に明治41(1908)年4月に本願寺広島別院と改称して今日に及んでいます。
昭和20(1945)年8月6日原爆の投下により焼失しました。境内では5名の方が即死、10名の方が負傷されたそうです。
 爆心地から≒1130m
本願寺広島別院にはほかに被爆したソテツ(爆心地より≒1150m)等があります。
由来は説明板ほかを参考にしました
昭和39(1964)年10月に現在の本堂が完成し、更に平成6(1994)年には本堂を中心とし大規模な修復工事を完遂し、ひろく安芸門徒の信仰の道場として現在もランドマークになるような偉容を保っています。
06.07.20更新   04.10.09裕・編集

04.09.18撮影

04.09.18撮影

04.09.18撮影
天満川越(北側より)に広島別院をみる 南側より 本堂
広島市中区寺町1−19

04.09.18撮影

04.09.18撮影

04.09.18撮影

04.09.18撮影
お寺の縁起等説明していただきました 阿弥陀如来 被爆前の広島別院写真 鐘楼と(被爆)ソテツ

04.09.18撮影

04.09.18撮影

04.10.21撮影

04.10.21撮影
中国配電職員弔魂塔 被爆納骨塔と親鸞聖人童形像 表忠塔 廣島縣警察官殉難之碑



広島の神社仏閣」編



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  広島別院詳細
(被爆した)納骨塔
(被爆した)ソテツ
(境内建立の)表忠塔
(境内建立の)廣島縣警察官殉難之碑
(境内建立の)中国配電職員弔魂塔