せいじゅうじ
清住寺

 智水山・清住寺の前身は毛利氏の旧居城があった高田郡(現:安芸高田市)に建立されていましたが、1591(天正19)年毛利輝元が広島城を築いた時に広島に移ってきた、浄土宗のお寺です。
1876(明治9)年本川小学校(前身の第七番小学校本川学校分教場)が境内に置かれ8年間(現在の本川小学校の敷地に木造校舎が出来るまで)教育の場になったそうです。現在の本堂は1959(昭和34)年の再建されたそうです。
1945(昭和20)年8月6日原爆でご住職はじめご家族五人は即死だったそうです、お寺がある旧左官町は多くの方々が亡くなり境内で毎日のように火葬がおこなわれたそうです。  
爆心地より≒530m   (被爆当時町名は鷹匠町でした)
07.08.27更新    04.08.16裕・編集

04.08.07撮影
広島市中区本川町2-5-13

04.08.07撮影
被爆石灯篭は見てわかるように中の部分は吹き飛んだそうで新しい石組みとなっています。
横の清住寺の被爆石柱は角が欠けています。

05.12.17撮影
本堂

04.08.07撮影
原爆で一家全滅などによる多くの無縁墓、お地蔵さまが集められ祀られています。
被爆したお墓と新しく建立されたお墓との違いは一目瞭然です

04.08.07撮影

04.08.07撮影
被爆したグミ



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被爆した建物・構築物」編



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清住寺
(清住寺の被爆樹木)
  被爆樹木:グミ
  (枯死した)被爆樹木:サクラ 
(今も現役)手押しポンプ