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史跡 頼山陽居室 指定年月日 昭和11(1936)年9月3日
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頼山陽は朱子学者春水の長男として安永9(1780)年大阪に生まれましたが、青春期を、この地にあった屋敷で過ごしました。21歳の時、脱藩し直ちに京都から連れ戻された後は、この居室に5年間閉じ込められ、当時ベストセラーになりました。『日本外史』の草稿はこの居室で書かれたといわれております。
建物は昭和20(1945)年8月6日、原子爆弾の災禍を受け倒壊焼失しましたが、昭和33(1958)年旧姿に復元・再建したものであります。 平成4(1992)年3月31日 |
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| 正門・塀は、爆心地より≒420m (被爆当時の町名も袋町) |
この場所は、西隣の日本銀行のビル陰になっていたことで門と塀は倒壊をまぬがれたそうです。
頼山陽居室は後に改修復元されたものです、交流ウォークのとき撮影不足でしたので、後日被爆樹木・クロガネモチと共に撮影しましたが、小雪舞っていた日でしたので雪が写ってしまいました。 |
| 資料は設置の説明板などを参考にしました。 |
06.02.23更新 04.08.16裕編集 |
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