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山陽文徳殿は、頼山陽(1780-1832)の没後「100年祭」を記念し頼山陽の徳を偲んで広島市が計画し建てられたました。
1931(昭和6)年頼山陽没後「100年祭」昭和産業博覧会(1929年)の余剰金一部+頼山陽文徳殿建設翼賛会の寄付金で建設されました。1934(昭和9)年10月竣工、鉄筋コンクリート造平屋、和様建築で屋根は(寺院風に)外壁は柱なし漆喰仕上げで壁面は(羽目板風に)角出しをしており、腰壁は校倉造りのイメージの仕上げとなっていて、玄関の左右対称の袖は中国の廟の造りを取り入れているといわれているようです。 |
九輪の塔があり、(被爆で)いびつに変形したままとなっています。
爆心地から≒1820m 被爆当時:段原町 |
| ここに山陽文徳殿があることは道路から見える標識で以前から知ってはいましたが、2004年交流ウォークのとき説明していただきながらはじめて近くまで行ったのでした。 |
| 後日資料を見ていたらこの山陽文徳殿の玄関前に被爆樹木ソメイヨシノがあることを知り撮影に行きました。その時被爆建物という説明板が設置されていました。 |
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| 05.11.14追記 04.07.18裕・記編集 |
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04.07.10撮影 |

05.11.03撮影 |
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04.07.10撮影 |
| 相輪は被爆時の衝撃で歪んだといわれています。 |
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くりん
九輪 |
寺院の塔の頂上を飾る相輪の部分の名。露盤上の請花(うけばな)と水煙との間にある九つの金属製の輪。宝輪。空輪。 |
そうりん
相輪 |
仏塔の最上部にある装飾部分。下から露盤・伏鉢(ふくばち)・請花(うけばな)・九輪・水煙・竜舎・宝珠の七つから成る。相輪全体を九輪と称することもある。青銅製・鉄製・石製などがある。 |
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05.11.03撮影 |

04.07.10撮影 |
被爆当時の名称 山陽文徳殿
(爆心地から1820m) |
この建物は1945(昭和20)年8月6日の原爆にも耐え、その姿を今日に残しています。なお、爆風で変形した屋根の飾り(九輪)は当時のままです。広島市
※交流ウォークの時はこの説明板ありませんでした |
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殿徳文陽山 |
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