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| 丹下グループの競技設計入選案では、平和記念館(本館)+原子爆弾災害資料陳列館+集会所 でした。 |
| (+部分は空中歩廊で繋ぐ) |
集会所に当たる処に当初建設されたのが地元財界が発起し1955(昭和30)年広島市に寄付された公会堂でした。(公会堂にはホテルが併設されていました、後に広島グランドホテルに名称変更をし、上八丁堀で創業しました)
この公会堂が1989(平成元)年に広島国際会議場に建替えられ、当初の丹下グループ案に一歩近づいたのでした。 |
| 05.09.07追記 02.08.06裕・編集 |
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| 広島市制施行100周年の1989年7月にオープンしました。 |
| 延床面積 |
24,649.02u |
| 構造 |
鉄骨鉄筋コンクリート造 |
| 規模 |
地上3階地下2階建 |
大ホール
(フェニックスホール) |
1,504席 |
国際会議ホール
(ヒマワリ) |
約600u |
| 他 |
大、中、小の会議室、レストラン等がある |
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02.11.17撮影 |
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04.07.04撮影 |
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’02.08.06. 撮影 |
| 国際会議場南東より見る |
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’02.08.06. 撮影 |
| ノーベル賞授賞者湯川秀樹博士の碑文「まがつびよ ふたたびここに くるなかれ 平和をいのる 人のみぞここは」 |
| 円鍔勝三作:平和の像「若葉」 |
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’06.05.11.撮影 |
| ≒北東からみました |
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’03.12.04. 撮影 |
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競技設計
(コンペ) |
広島市復興局により実施。 1949(昭和24)年7月20日締切り時、145点の応募があったそうです。
当時東大助教授・丹下グループ案が1等になる。
「コンペ募集要綱」には、
旧産業会館を含む中島地区一帯を対象として、平和記念館、原子爆弾災害資料の陳列館、集会場、平和の鐘を釣る塔などの配置が求められていたそうです。 |
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平和記念公園は、丹下健三(代表)、浅田孝、大谷幸夫、木村徳国、四氏の設計です。
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コンペ入選の当初案は平和記念館--巨大アーチの慰霊塔--旧産業奨励館(原爆ドーム) を一直線の南北基軸とし、平和記念館には、(東に)本館+(中央に)陳列館+(西に)集会所 を配置した案でした。
(+部分は空中歩廊で繋ぐ) |
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