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| 『御幸橋は 明治18(1885)年木桁橋として架けられた。昭和6(1931)年近代的なRC桁、ゲルバー式橋に架け替えられ 今日まで市の中心部と宇品地区を結ぶ交通の動脈として 大きな役割を果たしてきました。日清戦争以来第二次世界大戦終了まで多くの兵士らがこの橋を渡り 宇品港から戦地に赴き異国の地に眠ったのです、また昭和20(1945)年8月6日(月)世界最初の原子爆弾が投下されたとき、この橋を渡って避難した市民は多く、広島の歴史を見守ってきたこの橋の2度目の架け替えが終わっりました。新しい橋の完成と被爆45周年を迎えるにあたり、失われたものへの鎮魂と平和そして輝く明日への希望を込めこの碑をここに設置します』
平成2(1990)年7月 「広島ひろしまHIROSHIMA」碑文 |
| 原爆の爆風で石造の勾欄が双方とも倒れ南側は川中に転落。宇品方面へ避難する罹災者で橋上は大混乱凄惨をきわめたと聞きます。爆心地から≒2270m |
2代目の被爆した御幸橋は、老朽化が進み1969(昭和44)年から架け替え工事が進められ実に21年を要しました。
新しい3代目の御幸橋が1990(平成2)年完成しました。 |
| ※宇品築港工事の開始にともなって架けられた「川口橋」は明治18(1885)年8月4日明治天皇が御巡幸になったことでそれ以降「御幸橋」と呼ぶようになり、また皆実新道路を「御幸通り」と呼ぶ(現在もですが)ようになったそうです。 |
| ※資料は西詰北側の新橋竣工記念碑の説明文他を参考にしました。 |
04.06.16追記 04.04.04裕・記編集 |
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