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| 1880(明治13)年初代のときは橋(発音はときわとしていたとわたしは思うのです)が架橋された時は『常葉橋』と橋名柱に彫られていましたが、「ときわ」からくる漢字のイメージが『常盤』ということで、橋名の混乱がおき、大正以降は『常盤橋』が大勢を占めるようになったそうです。1929(昭和4)年竣工のRC桁橋にも常葉橋と銘板にはあったそうです。 |
| 1929(昭和4)年竣工の常葉橋は、1945(昭和20)年8月6日被爆(爆心地より≒1550m)し、橋床のアスファルトが熱線により自然発火、一時その火災のために渡れない時もあり(おじさんの原爆記にも記述があります)石造欄干は川の中に落ちたそうです。その常葉橋も頭柱(橋銘板は戦時軍需物資として供出して無くなっていました)を残して1977(昭和52)年解体されました。 |
現在の常葉橋は、(上り下りが)分割して架橋され、
第一橋が1975(昭和50)年に、第二橋は1978(昭和53)年に完成しています。 |
現在の橋名プレート |
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| おじさんの原爆記にも度々出てくるこの常盤橋、資料をみていると常葉橋と表記していました、近くに住んでいたわたしも常盤橋と思っていました。どちらでもいいのではと勝手に思い、そう神経質になることはないと思っているのですが、やはり橋名板が常葉橋となっていますので、この頁も常葉橋として編集しました。 |
| 2009年11月になって常葉橋西詰南側根際の病院玄関に野外彫刻があると云うことで、久しぶりに(広島駅から)常葉橋の下流側歩道をぶらり散歩しながら渡ってそろそろ渡り終わるかなという時、手摺に付けてある橋名板をみると『ときははし』と記述してありました。「ときわ」とばかり思っていたわたしの大間違いに気がついたのです。最初にこの頁を編集してから9年も経つのに今になって気がつきましたので、恥ずかしいことではありますが、訂正更新しました。 |
| 資料は河岸の戦後史2京橋川などを参考にしました。 |
09.11.21追記 00.07.30裕・編集 |
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